偏屈BOOK録

February 19, 2010

拮抗

 ついに、というか、とうとう、というか……
 つい先月、最新作が出て愉しんだばかりというのに……

 ディック・フランシスの訃報が届いた。
 最新作の『拮抗』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4152090987/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=415208779X&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=11GQTAY7KM6WCR37GYHP
 の訳者あとがきに新作情報はなかったので、これが最後だろう。

 享年89。

 20歳ちょっと前に出逢い、毎年1冊ずつ発表される新作を心待ちにしてきた。一時出ないことがあり、もう書くのをやめちゃったのかなと半分あきらめ気分でいたところ、新作が出て欣喜雀躍したことは以前書いた。
http://taos.livedoor.biz/archives/50660760.html

 これで、僕にとって新作を待ちわびる作家はいなくなってしまった。


(14:47)

September 13, 2008

探偵!ナイトスクープ  文庫本だが上下2冊、合計394ページを一気読みしてしまった。
 こんなことは初めてのことだ。

 

 ぼくの故郷・熊本は、ことテレビに関しては――いまはどうか知らないが――大阪文化圏だった。大阪発のお笑いドラマも多かったし、藤山寛美も吉本新喜劇もあった(なぜか『てなもんや三度笠』は放送されなかったけれども)。だから、大阪発のプログラムなど珍しいものではないのだが、目からウロコというのか、とにかくビックリして大阪発の番組のすさまじさを感じ、印象を新たにしたのが、笑福亭鶴瓶と神岡龍太郎の『パペポTV』だった。
 何がすごかったか。東京では日本テレビが深夜オンエアしていた1時間番組なのだが、毎週この2人しか出てこない。とくにテーマがあるわけでなく、最近体験したことなどについてトークする、ただそれだけなのだ。東京であれば、メリハリや変化をつけるために誰かゲストを招き、そのゲストを中心にトークするというカタチになるだろう。そんなことはいっさいなし。ただ2人でしゃべる、それだけなのだ。
 なのだが、こいつがものすごく面白い。鶴瓶が主に体験をしゃべり、神岡がツッ込む。ときにツッ込まれて鶴瓶があたふたする。それを神岡は意地悪そうに見ている。ときには鶴瓶のリアクションに、あの神岡がこらえきれずに大笑いする。
 これだけ。こんなに安上がりで、むちゃくちゃ面白い番組を東京はつくれるのか?

 

 そのうちに、ビートたけしがこれを見ているとか、いろいろ注目されている話が漏れ伝わるようになるのだが、数回見たあと、あまりの面白さに、ぼくは当時持っていた『月刊宝石』のコラムに、この番組について書いた。この番組について東京発のメディアに書いたのは、ぼくが最初ではないかとじつは自負している。
 この番組で、鶴瓶は何回目かの、神岡は初めての東京上陸を果たして番組を持ったりするのだが、『パペポ…』ほどに輝いている2人を見たことがない。鶴瓶は神岡を、神岡は鶴瓶というキャラクターを得てこその面白さだったことを、ぼくはつくずく思った。
 ちなみに、テレビ東京『キラキラアフロ』はこの焼き直しで、鶴瓶とオセロ・松嶋というコンビになっているのだが、松嶋がボケで鶴瓶がツッ込むというスタイル。松嶋の超ボケぶりが面白くて人気番組になっているが、本来鶴瓶はツッ込みタイプではないので、イマイチもの足りない。鶴瓶は神岡龍太郎という優れたツッ込みがあってこそ、あの面白さがあったのだと思わずにはいられない。

 ついでに書いておくと、ぼくの母親は、弟が録画していた『パペポ…』を深夜見て、アハハハ…と笑って床に就いた翌朝、急性心不全で急死した。幸せな死に方だったかもしれない。

 

 ……というのはマクラであって、次に大阪の番組の面白さに衝撃を受けたのが朝日放送『探偵!ナイトスクープ』だ。この番組を知らない人は不幸である、といってもいい過ぎではないとぼくは思う。
 視聴者からの依頼の手紙で、探偵たちが行動する――という1時間番組で、探偵長は初代が神岡龍太郎(神岡引退後は西田敏行)。おばかな依頼が多いけれども、ときに感動もののケースがあって、見ているこちらは笑いながら泣いているということも少なくない。
 派遣される探偵たちの多くは、桂小枝、間寛平、北野誠…等々、関西系の芸人で、東京にはまったく知られていない奴もいる。しかし、そんなことは関係ない。探偵が面白いのではなく、依頼者をはじめ庶民がとてつもなく面白いのだ。この庶民のポテンシャルを引き出し、番組化したところにこの番組の面白さ、すごさがあった。
 また、番組企画の「日本アホ・バカ分布図」――人をしてアホという地域とバカという地域はどこで分かれるのか――は、シリーズ化され、その集大成は方言学の学術賞を受け、『全国アホ・バカ分布図』(新潮文庫』としてまとめられた。分厚い本だが、感動ものの1冊だ。
 関西では視聴率30パーセントをたたき出し、東京でもパクリのような番組がいくつも企画されたが、東京のテレビはその庶民のポテンシャルを引き出す能力がなく、いずれも失敗している。

 

 さて、本論だ。
 ぼくが上下2巻を一気読みしたのは『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』龍の巻、虎の巻(ポプラ文庫)で、なぜこのような番組が生まれたかについて、プロデューサーが綴ったものだ。このプロデューサー氏は『全国アホ・バカ…』の著者でもある。
 ヒット番組は思いつきと運でそうなるのではない。確信を持って取り組み、低視聴率にもめげず革新を繰り返し、やがて“庶民の面白さ”を発見し、ついには“感動の物語”さえつくるに到る。それを支えてきたのは、話1本、1本を“先人のやったことのないことをやるんだ”という意気込みで、仲間と切磋琢磨して切り開いてきた若いディレクターや構成作家たちの奮闘だった。
 本書は、『探偵!……』の歴史を辿りつつ、それら若きディレクターや作家たちの悪戦苦闘ぶりを記し、栄誉をたたえるという本になっている。取り上げられている“名作”の大半は見ているが、もちろん見ていないものもあって、読んでいるとそれがくやしい。何より、この番組の裏にこれだけの苦闘・奮闘があったのかと知らされ、だからこその『探偵!……』だったのだと教えられた。

 

 東京ではこの番組を系列のテレビ朝日が深夜の深〜い時間にやったりやらなかったりで、ついに放棄し、現在はU局のTOKYO MAXがやっているが、ぼくんちにはUのアンテナがないので見られない。東京のほとんどのテレビ人がわからないのだ、と思う。

 この本は『探偵!……』を知っている人にしか伝わらないものであり、アナタがもし知らなければ、名作集がDVDで出ているので、TSUTAYAあたりでレンタルしてもらって、そのすごさにふれてから読んでほしいと思う。

 ……いや、泣けました。ホンマ。



(02:25)

February 12, 2008

朝めしの品格  えー、無粋を承知で宣伝です。―其の2

 『朝めしの品格』であります。

 今日あたり、本屋の新書コーナーの片隅に並んでいるかと思います。

 麻生タオ名義としては、何と1991年9月の『喰ふ寝る処に呑む処』(ソニーマガジンズ。絵を描いてくれたアダチ画伯との共著となっています)以来、16年半ぶり。

『喰ふ寝る…』は、酒と酒を飲む場所について、まだワカゾーだったワタクシが語ったもので、外題は「酒を飲む者にとっては、“喰う寝るところに住むところ”だけでなく、“飲むところ”も必要デアル」という、『寿限無』をもじったものでした。

 当時仕事をしていた酒の雑誌で企画し、飲み代は編集部持ちでぼくとアダチ画伯とでテーマに合わせた場所に飲みに行き、飲食したものが何だったか、その料金はいくらか、その場所はどういうところだったかなど取材していたのは絵を描かねばならないアダチ画伯で、ぼくはただ場所を決め、そこでただただ飲んでいて、あーだこーだ勝手に書いていただけ……という仕事で、あんな楽しい仕事はそれ以降、絶えてない。 その連載が何回か続いたところで、友人で編集プロダクションを主宰していたアリオカさんが、「本にしない?」と言ってくれ、その時まで自分が書いたものを本にするなどということはまったくアタマになかったものだから、うれしくもあり、怖くもあって(雑誌は読み捨てられてしまうが、本は残るものね)、ワカゾーの自分をどんなスタンスに置くか、文体はどうするかなど、ずいぶん苦吟した記憶がある。

   でも、修業というものはそういうものなのか、苦吟して上梓したら、以降“ワタクシ”として書くものがずいぶん楽になったのはたしかだ(このあたり、説明するのがムズカシイのだけれど)。とはいえ、どれぐらい売れたのか、初版がどれぐらいだったのかいまだに知らないけれども、ウェブで検索すると、ユーズドがずいぶん出てくるから、何百部かは売れたのだろうと思う。  そして今度の『朝めしの品格』です。

  前に書いたようにマクロビオティックの雑誌に連載したものが元になっているけれども、その連載時のタイトル「美味い朝めし」は20年ぐらい前から持っていました。一度はこのタイトルで連載を始める話もあったのだけれど、次号予告に載っただけで、その雑誌がポシャッたという出来事もあり、以来、ワタクシのアタマの中にだけずーっとあったコトバだと言っていい。

 それが、ひょんなことからマクロビ雑誌の編集長になった友達から「何か食いもんのコラムを書きまへんか?」というオファーがあり、やり始めたものでした。

 ただし、取材費なし、イラスト予算なしということだったので、話は自分の記憶や資料を探して書くという、ミステリで言えば“アームチェア・デティクティブ”方式であり、絵がなくては誌面(見開き2頁です)が寂しいじゃないのと、自分で描くことにしたのですが、何せ絵などを描くというのは中学以来のことで(高校は選択制で、ぼくは音楽選択でした)、毎月描くことは新しい苦吟であり、しかも描き上げてみたらいかにもシロート絵ですから、恥ずかしいばかりでした。本書には、そのシロート絵もいくつか掲載されています。

 また、編集者(友人なのですが)の要請で、帯津先生の言葉と写真までいただきました。ちなみに「品格」というタイトルも編集者が付けたもので、だったら「朝めしの本懐」とか「朝めしの一分」などというのもアリなんじゃないの、と言ってみたりもしたのですが(笑)、これでいくということになったものです。 ともあれ、本書はまたワタクシにとっての修業ともなりました。

 その意味で、いろいろ感謝しています。



(07:40)

February 10, 2008

がんを防ぐセルフ・ヒーリング

 えー、無粋を承知で宣伝です。

 去年の大半はこれらの仕事に取られた自著が、今月立て続けに出ます。
 1冊は2月8日の発売となった『がんを防ぐセルフ・ヒーリング』(ちくま文庫)。
 いま1冊は13日に発売される『朝めしの品格』(アスキー新書)です。

『がんを防ぐ…』は、『がんを治す完全ガイド』という雑誌に「心と体のセルフ・ヒーリング」と題して連載したもので、ですから目的はがんの闘病中および予後の再発防止のために“自分でやれる養生法”という位置づけでした。それを1冊にまとめるにあたり、もっと広く読んでいただきたい(言い方を変えればマーケットを広く取りたい)ということから、前書きではこう書きました。
〈もはやがんは特殊な病気ではなく、アナタもワタシもがんになるリスクをおおいに抱えている――そんなポジションにあるのです。では、どうしたらいいの? というときに、現代医学はできてしまったがんを切ったり焼いたり叩いたりして除去する方法は持っていますが、その後はどうすれば再発を防げるか、いやそもそもがんにならないためにはどうするか、というような予防のための方法を持ちません。
 そこで代替療法にヒントを求めるということになるわけですが、その代替療法の多くに共通するのが、アプローチは違っても、最終的には“治癒力を高める”というところに行き着くことです。この“治癒力を高める”ということが、がんの再発防止や予防に有効であるとするならば、それはイコール私たちにとって最良の養生法ではないか――というのが本書のコンセプトなのです。言い換えれば、本書はがんという病気を手がかりに、自ら治癒力を高め、日々の健康を自分で守っていく方法について提案したものです。〉

 ここで取り上げているのは、気功、イメージ療法、バッチフラワーレメディ、漢方、ビワ温灸、自律神経免疫療法、調和道丹田呼吸法の7療法。というか、7つ(1療法各4回ずつ)やったところで雑誌が休刊してしまった、ということだったのですが。
 このうち、バッチフラワーと自律神経免疫療法以外は、帯津良一先生の病院で取り入れられているもので、そもそもはその雑誌が帯津先生監修を謳っている(つないだのは実はぼくでした)ところから、帯津病院での養生法について紹介したいと思って始めたものでした。バッチフラワーと自律神経…はぼくの選択ですが、そうしたことから本書をつくるに当たっては帯津先生に監修というかたちで読んでいただき、また一文もいただきました。
 ただし、養生法として欠けているものがあります。それは食事です。この食事については同時期、同雑誌に並行して、帯津病院で患者さんの食事指導に当たっている幕内秀夫さんの「日々を支える食事学」という連載を企画・執筆し、これは一昨年末に『幕内秀夫のがんを防ぐ基本食』として筑摩書店から出版しました。
 その意味では、『幕内…』と今回の『がんを防ぐ…』で合わせ技一本というところでしょうか。

 この連載をしているときに、後輩ががんで倒れ、連載中に亡くなってしまったということがありました。当然彼にもいくつかは紹介しましたが、病状的にやれるもの、やれなかったもの、やらなかったものなどがありました。多少とも一助になったのかどうか……そういう苦い思い出も重なっています。

(16:05)

January 13, 2007

名作『長いお別れ』

 

 

 

 

 

 

 年末、新聞の広告を見てびっくりしたこと。

 早川書房の新刊案内だったが、ナント、あのレイモンド・チャンドラーの、あの『長いお別れ』を、かの村上春樹の新訳で、原題の『ロンググッドバイ』のタイトルで出すというのだ。

 ハードボイルド小説の巨匠はダシール・ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドが御三家とされる。“正統派ハードボイルドの系譜”というような意味で、「ハメット−チャンドラー−マクドナルド・スクール」なんてアメリカの評論家がつくったことばもある(何をもって正統派というのかはいまだによくわからないが)。
 その中で、たぶん日本人が一番好きなのはチャンドラーだ。
「いいや、ハードボイルドは何と言ってもハメットだ」という人ももちろんいる。日本にハードボイルド小説というジャンルを、とにもかくにもつくった大藪春彦がそうだったし、逢坂剛さんだって、もっともハードボイルド小説らしくて、もっとも好きなのはハメットの『ガラスの鍵』だという。
 しかし、「ハメットだ」という人たちの多くの、その言の裏側には、必ず“チャンドラーなんてセンチメンタルで……”という理由がついてくる。“ロス・マクなんて…”ではない、チャンドラーに対する批判なのだ。でも、それって、つまりアメリカを発祥とする(もっと言えばハメットが始祖だとされる)ハードボイルド・ミステリの中で、チャンドラーのセンチメントな叙情が日本人には一番好まれたから、ということを物語ってはいまいか? とぼくは思っている。

 そのチャンドラーだが、日本語版の訳者は、映画評論家として有名な双葉十三郎(最初の長編『大いなる眠り』)、作家の田中小実昌(『高い窓』ほか)、稲葉明雄(短編集)などがいるが、日本人がチャンドラー好きになったのは、何といっても映画の字幕翻訳家だった清水俊二(戸田奈津子さんの師匠)による翻訳だと思う。
 ネイティブに言わせると、田中コミさんのが一番チャンドラーの雰囲気に近いらしいのだが、清水訳は格調高くてセンチメントで、ぼくも20歳の頃に清水訳を読んで、チャンドラーおよびハードボイルドにはまった。

 清水訳は『さらば愛しき女よ』、『長いお別れ』、『プレイバック』(これに例の「しっかりしていなければ生きていけない。やさしくしてやれなければ生きている資格がない」だっけ? のフレーズが出てくる)、そして未完となった『プードルスプリングス物語』(のち、スペンサー・シリーズのロバート・B・パーカーが書き継いで出版した。訳は菊池光さん)があり、作品そのものとしては『さらば…』が一番よくできていると言われている。
 しかし、ぼくも含めてチャンドラー好きにとっては、ベストは『長いお別れ』――小説としては破綻していると言われるものの――で、その理由はただひとつ、「一番長い作品だから」。 つまり、一番長くチャンドラーの世界に浸っていられるからで、その世界をつくりだしたのが清水俊二の翻訳だった。

 個人的な経験でいえば、20代の頃のぼくは、この小説に何度も救われた。失恋やら何やら20代の頃は落ち込むことに忙しいものだが、そのたびにハヤカワ・ポケミスとしては分厚いこの本を開き、主人公である探偵フィリップ・マーロウその他の言動に慰められた。
 日本人のオトコの多くが「ギムレット」というカクテルを知ったのも、この小説だろうと思う。冒頭でマーロウが知り合い、最後に裏切られる酔っぱらい野郎が、「ギムレットはジンと、ローズという会社のライムジュースでつくるものだ」とバーテンダーにのたまう有名なシーンがある。
 余談だが、何年か前、よく通っていた霞ヶ関のバー「ガスライト」のチーフ・毛利さん(現・銀座「毛利バー」のオーナー・バーテンダー)が、「ローズのライムジュースがありますよ」というから、そいつでギムレットをつくってもらったのだが、酸っぱくってちっともおいしくなかった(笑)。

 その、チャンドラー好きにとっては名作中の名作を春樹訳で出すというのだ。
 こりゃ、ビックリものでしょう?
 いや、もちろん村上春樹がサリンジャーの名作『ライ麦畑でつかまえて』(庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』に始まる“薫くんシリーズ”の文体の原型として知られる)を、原題の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のタイトルで新訳して出したことは知っているし、前述のハメットはハードボイルド研究者としても名高い小鷹信光さんが、そのスタイルがハードボイルドだとされるヘミングウェイの短編集を高見浩さんが、それぞれ訳し直していて、そのような時代になってきたことは面白いと思ってはいるのだが、清水訳の名作を改訳というのは、ぼくにしてみれば、それってクロサワの『椿三十郎』を、湾岸署の青島刑事の主演でリメイクするということと同じようなことじゃないかしら? というような感じに近いのだ。

 もちろん春樹訳が出れば(3月だとか)きっと読むでしょう。読むけれども……



(01:19)

December 09, 2006

久々のディック・フランシスである

 

 

 

 

 

 

 愛読していた作家が死んで、何が寂しいかというと、当たり前だがもう新作を読むことができない、ということだ。

 例えば山田風太郎。20代の頃、『警視庁草紙』から始まる明治ものでハマり、以降、最後の『柳生十兵衛死す』まで、新刊が出ればすぐに買い求め、毎回わくわくしながらページをめくった。
 もちろん生前だが、仕事をしていた酒の雑誌から、「山田風太郎さんなんだけど、インタビューに行かない?」とお声がかかった時には、「もちろんイク、イク!」と、先輩のカメラマンと2人、多摩のご自宅を訪ねたことがあり、これはめったにない嬉しい仕事だった。『明治十手架』が出て、次がなかなか出なかった時だったから、失礼にも「次の作品は…」と訊ねたら、「もうあんまり目が見えないからねえ。それにもういいんじゃないかな」などとおっしゃるから、「いや、待ってますから」と申し上げたことを憶えている。
 だから、訃報を目にした時にはがっくりきた。「ああ、もう新しいわくわくは味わえないんだ」と。

 別に亡くなったわけではないが、「前作を最後にする」と言ったというようなことを聞いていたし、その時にもう70代後半で、年が年だからもう新作は出ないだろうし、ひょっとして死んじゃったかも知れないなあ、と思っていた作家がいた。
 ところが……出たんだよ、6年ぶりに!
 その情報を知ったのは、つい2カ月ほど前で、それから、いつ出るかいつ出るかと首を長〜〜〜くして待っていたら、「12月7日発売」という情報を得た。一昨日のことだ。だから、一昨日買った。どれぐらい首が伸びていたかというと、じつはその前日も「出版社は7日と言っているけど、1日ぐらい早く出るんじゃないか」と紀伊國屋を覗いたほどだ(やっぱりなかった)。
 ディック・フランシスだ! 競馬スリラーだ!!

 ディック・フランシスを初めて手に取ったのは、忘れもしない10代最後の年で、当時働いていた小田急線・経堂の商店街の古本屋でポケミス版の『大穴』を何気なく買ったのだった。
 一読して夢中になり、『大穴』はシリーズでは4作目だが、日本での翻訳刊行では2冊目だったから、すぐに1作目の『興奮』を買って、文字通り興奮した。
 以降ン10年、毎年11月頃に訳出される新作を心待ちにし、だから自慢じゃないか文庫版はほとんど持っていない。最初の頃のポケミス版か、その後のハードカバー版ばかりだ(ほとんど…というのは、1冊だけ最初から文庫版で出た作品があるからで、あれはなぜだったんだろう?)。

 ここから先は、読んだことがある人には余計な話だ。
 ディック・フランシスは、元英国の女王陛下お抱えの騎手(障害レース)で、引退の後、自伝本『女王陛下の騎手』を書き、あまりにも出来がよかったので、小説を書かないかと出版社から誘われ、ちょうど家族のことで金の要ることもあり、書いたのが第1作目『本命』だった。
 その世評にいわく、「とても元騎手が書いたものとは信じられない。これだけの力量を持つ作家が、たまたま騎手もやっていた、としか思えない」(ウロ憶えですが)と非常な好評を博した。いまちょっと調べたら1962年の作品だ。

 元騎手だから、その経験を大いに生かして、作品は英国競馬界あるいは競馬馬にまつわるものばかり。ゆえに「競馬スリラー」と日本では命名された(あちらでそう呼ばれているかどうかは知らない)。
 主人公は、最初はやはり騎手や調教師、あるいは競馬専門の私立探偵といった、競馬に直接関係ある男たちだったが、競馬界あるいは競走馬を題材としながらも、さまざまな職業の男たちの物語が生み出されていった。
 えー、思いつくまま挙げてみると、航空パイロット(馬を運ぶ)、秘密情報員、保険会社の誘拐ネゴシエイター、サバイバル・インストラクター、ワイン商、ガラス細工職人、それから……思いつかない(笑)。
 ま、他業種にわたっており、それぞれにその仕事がどういうものか詳しく綴られている。
 前作までの全39作品のうち、同じ主人公が再び登場するのは2シリーズ――それぞれ3作品と2作品――の5冊を除いて、皆主人公は違う。
 しかし、読むとどれもキャラクターは同じ。困難な状況に陥るけれど、その困難を乗り越えていく不屈の精神を持った男、という点で。
 シリーズの何が魅力かについては、「まあ、1冊手に取ってみてくださいよ」というしかない。勧めたら、これも一発でハマって、過去の作品をどっさりと大人買いした友人がいた、という話を紹介するにとどめるが、「競馬スリラー」といっても、競馬に詳しい必要など何もない。女性であれば、その主人公の真摯で素朴で、かといって品格があり、危機に怯えながらも立ち向かうキャラクターに惚れること間違いがない。
 映画化もされ、英国ではテレビシリーズにもなって、これはNHKで何本か放映されたが、原作を超えるものではなかった。

 その新作だ。
 シリーズは必ず2文字のタイトルが付けられており、今作は『再起』(原題はUnder Orders=命令の下に、というような意味だろうか)と、まるでフランシスの復活をも意味しているようなタイトルになっている。
 しかも、しかもだ。ぼくが初めて手に取った『大穴』以来、3作品に登場している競馬探偵であり、シリーズ最高の人気キャラクターであるシッド・ハレーの物語、というオマケまで付いた。
 ……とはいえ、喜べないこともあった。最初から一手に翻訳を手がけてきた菊池光さんが今年亡くなったことだ(これは『ミステリ・マガジン』のコラムを立ち読みして知った)。菊池さんの翻訳には、独特の文体があり、他シリーズで言えば、これも人気で長いロバート・B・パーカーの「私立探偵スペンサー」ものがあるし、『深夜プラス1』をはじめとするギャビン・ライアルの作品などもあり、読み手はその“菊池節”を通してそれぞれのシリーズを好きになったはずだ。
 例えば、R.チャンドラーなら、田中小実昌(通称コミさん)の訳もあるけれど、やっぱり清水俊二のそれが一番だ、というような(英語がわかる人にはコミさんのほうが原文の雰囲気をよく伝えていると言われるけれども、人気で言えばやっぱり叙情たっぷりの清水俊二版だろうね)。

 それでもディック・フランシスの新作が出たのは何より嬉しい(今年の10月で86歳だという!)。
 内容は?  翻訳の違和感は?
 もったいなくって読めません。「訳者あとがき」をちょこっと読んだぐらいで、児玉清サン(アタック・チャ〜ンス! ここんとこ、博多華丸の児玉清サンの真似で)の解説(この人はミステリ好きで原書で読むのだ)はストーリーも書かれてあるから、最初と最後だけ。
 仕事も立て込んでいるから、そんなせわしない時に読みたくない。
 そう、正月三が日あたりに、ゆったりと、バーボンでも啜りつつ、わくわくしながら読むつもりだ。

 で、今回の話は終わりなのだが、じつは同じようなサプライズが、先月にもあった。
 これは物故者ではなく、作品は出ていたマイクル・Z・リューインという作家で、デビュー時には“ネオ・ハードボイルド”という括り(これも日本での命名)だったのだが、創出した“ハードボイルド界でもっとも腕っぷしが弱く、心優しい私立探偵”アルバート・サムスン(最初の作品は『A型の女』)シリーズの最新作が、これはディック・フランシスを上回る、何と13年ぶりに出た。
『眼を開く』というのがそれで、尾羽打ち枯らしたサムスンが復活する、という物語だ。
 これも、シリーズ1作目から読んでいるぼくとしてはもちろん買うよね。で、読んだ。
 出来がいいかどうかは、評価はさまざまだろう。でも、シリーズものが好きな読み手は、そんなことはわりとどうでもいい。
 その世界に浸っていられることを幸せに思うのだ。



(19:39)

November 26, 2006

センセイの鞄

 

 

 

 

 

 

 このところ、わりと小説がよく読める。“よく読める”というのは、気分的に小説を読みたくない(小説に手が伸びない)ときがあるからだが、それでなぜか女性作家の小説を立て続けに読んだ。
 といっても、3カ月ほどの間に3冊だから、“立て続け”というほどのものでもないのだけれども、ふだんあまり女性のそれは“なぜか”読まないので(ずっと以前、『ゴサインタン』を読んで、篠田節子に関心を持ったことがあったけれども)、だから本人感覚としては“立て続け”なのです。
 で、どんな作品かと聞かれれば、答えるのも恥ずかしい。どれもいわゆるベストセラー本であり、「何をいまさら」と言われるだろう作品ばかりだからで、読んだ順番で挙げると……

 小川洋子『博士の愛した数式』
 恩田陸『夜のピクニック』
 川上弘美『センセイの鞄』

 ……ね、恥ずかしいでしょ。
 どの作家もこれが初対面です(付け加えれば、どれも文庫本)。
 以下はその短い感想。

『博士の愛した数式』は書店に新刊で並んでいた時に、妙にタイトルが引っかかっていた。
「博士の…」は、キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』が思い浮かぶ。「××の愛した…」は、世界で一番有名な秘密諜報員007シリーズの1冊『私が愛したスパイ』だ。でもって、「数式」は、ぼくが数学が苦手なことからコンプレックスを感じるコトバ……ということから、気になっていたのだとたぶん思う。
 でも、だからといって本そのものに手を伸ばすまでには至らなかった。
 読んでみようかなーと思ったのは、映画化されたものをレンタルDVDで見たことだった。これがとても面白く、よくできた映画だった。それで、原作ではどう物語が綴られているのかと興味を持ったところへ、文庫化されたので買った読んだ。
 そうしたら、小説も面白かった。「見てから読むか、読んでから見るか」というのは映画に進出したときの角川書店のキャッチフレーズだったが、本が面白いと思えば映画に不満が残る、映画が先なら本に……と、それぞれ先に読んだり見たりして面白かったと思った、そのイメージに縛られるから、おおむねそういう結果に終わることが多いものなのに、この作品は映画を観てからでも面白かった。その意味では、これはまれなことだ。
 で、これからは映画を誉めるのだが、映画の利点は当たり前だが映像で語れるところだ。映画では、博士からルートと命名された少年が、短い期間なのだが博士と過ごしたことの影響から、長じて数学の教師となり(これは小説にはない。青年ルート役は吉岡秀隆)、生徒たちにいかに数学の世界が面白いかを教壇で語るシーンから始まる。そして、小説の中でさまざまに出てくる数字や数式を、そのエピソードの都度、黒板に書きながら説明してくれるのだ。小川洋子の文章もわかりやすく書かれていると思うのだが、やっぱり映像のほうが理解を助けてくれる。このアイデアが秀逸だ。
 博士役は寺尾聡で、だから小説の設定よりは若いのだが、淡々としていながら哀しみを秘めているキャラクターをよく演じていた。主人公の家政婦は深津絵里で、これはベストの適役だったと思うし、深津絵里の代表作となったと思う。

『夜のピクニック』は、恩田陸という作家の名前が引っかかっていた。といって、読んだことがないから、男か女かわからず、女性だと知ったのはわりと最近のことだ。ちなみに、「陸」という名前の女性は、ぼくは1人しか存じ上げない。大石良夫クンの妻女だけだ。大石クンは社長の失態で会社が潰れるまで、(株)赤穂塩業の筆頭専務だった人で、内蔵助というミドルネームを持つ。
 それはさておき、小説はというと、ただ長距離を歩く、というシチュエーションなのに、一気に読ませたよくできた青春小説だった。ザッツ・オール。

 最後の『センセイの鞄』は、ずっと以前に買って、読まずにいたもの。
 なぜ読まなかったか。テレビ化されたものを見たからだったと思う。
 センセイが柄本明、主人公のツキコさんが小泉今日子。演出は先般亡くなった久世光彦さん。
 久世さんの作品は、「向田邦子スペシャル」を初めとして好きでよく見ており、また作家として書かれたものも好きなのだが、これは何だかつまらなかった。それで本は手つかずのままだったのだが、女性作家のものをに2冊読了した勢いで読んでみた。
 そして、読みながら気づいた。
 これは向田邦子の世界だ……。
 たとえば、こんな一節。

〈…同じ町内にある、しかしたまにしか訪れることのない、母や兄夫婦や甥姪のさんざめく家に帰ると、どうもいけない。今さら嫁に行けだの仕事をやめろだの、言われるわけではない。その種の居心地のわるさを感じることは、とうの昔になくなっていた。ただ、なんとなしに釈然としないのだ。例えば、身の丈ちょうどの服を何枚もあつらえたはずだのに、いざ実際に着てみると、あるものはつんつるてんだったり、あるものは裾を長くひきずってしまったりする。驚いて服を脱ぎ、体にただ当ててみれば、やはりどれも身の丈の長さである。そんな感じか。〉(「お正月」)

 主人公がゆきそびれた四十路目前の女性、という設定がそう思わせるのかというと、そればかりではない。では、文体が似ているのかというと、そうでもない。ただ、その語り口や主人公の感性的なものが向田邦子の――とくにエッセイを思わせるのだ。

 ……その時に合点した。だから久世さんは、この作品をドラマ化したのだと。
 そう思ったら、その“発見”(事実はどうなのか知らないんだけど)に、嬉しくなった。



(05:06)

May 27, 2006

島村さんと愛娘。旦那さんはロシア人なのだ

 

 

 

 

島村菜津ちゃんと愛娘。旦那さんはロシアの人なのだ。

島村菜津『スローフードな日本!』

 島村菜津さんに初めて会ったのは、前著『スローフードな人生! イタリアの食卓から始まる』(新潮社)が出て間もなくだったから……ふーむ、もう6年近く前のことになるのか。
 書店で見かけたその本のタイトルの「スローフード」ということばにぼくのアンテナが反応し、即購入して一気に読み通し、あまりに面白いノンフィクションだったことと、「スローフード運動」に強い関心を覚えたことから、お会いしてみたくなったのだった。
 もちろん、「本を読んで面白かったから、会ってくれませんか?」とお願いして会ってくれるわけはないから、当時仕事をしていた某大学系の雑誌に提案し、インタビューというかたちでお会いしたわけだが、芸大の美術史専攻で、イタリアをフィールドとし、その前の本がレビューにいわく“トスカーナの闇を切り裂く怪物の影−68年から85年まで17年間に8組16人の男女が猟奇的に惨殺された。事件には外科医、覗き魔、霊媒や貴族までが次々に登場した。殺人鬼モストロはどこに…。戦慄のノンフィクション”という『フィレンツェ殺人事件』とか、同じく“カトリック司教に任命される実在する聖職、「公式エクソシスト」。ヴァティカンの依頼で極秘に資産家、貴族などを除霊したエクソシストに取材し、その儀式、社会的意味を描く”という『エクソシストとの対話』といったおどろおどろしいタイトルの本ばかりでもあるから、どんな人かと思っていたら……はは、気さくな九州女(福岡出身)でありました。

 ちなみに、ぼくが「スローフード」ということばを目にした最初は、この本が出るちょっと前ぐらいか、「スローフードに帰ろう」というコピーのカゴメの広告キャンペーンで、書店でこの本にアンテナが反応したのは、意識のどこかに“スローフードとは何ぞや?”と引っかかっていたのだろうね。そのときのカゴメの商品は、レトルトのイタリアン食材で、この本を読んでその意味するところを知ったら、そんなものはファストフードの部類であって、「スローフード」とは何も関係ない、というより、思想的には相反するものだということを理解し、インタビューのときにも「あの広告はひどいよねえ」と笑いあったものだ。

 そこからお付き合いが始まり――といっても、電話して、「暇なら飲みに行かない?」なんていうような付き合いではもちろんないぞ――ぼくが関係している非営利団体に招いて「スローフード運動」についてお話ししてもらったり、マクロビオティック関係の友人に紹介し、仲間内(といっても、ぼくはマクロビオティストではないが)の忘年会に呼んだり、その後に出て、これも大いにインスパイアされた『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)の著者・辻信一さんにも会いたくて、ならば“スローつながり”でと、島村・辻対談を前出の某大学系雑誌で企画したり……と、折に触れてお会いしてきた。
 この島村・辻対談では、お話しを持ちかけると、お二人とも「会ってみたいと思っていた」と喜んでもらったのだが、この後、彼女は何と辻さんのフィールド(環境NGOなのだ)であるエクアドルまでついて行ってしまっている。

 で、『スローフードな人生!』だが、この本はその後の日本のスローフード・ムーブメントの火付け役となり、いまや日本国中に40を超える「スローフード協会」がある。果たして、そのすべてがイタリアで生まれたこの「スローフード」の思想を正しく理解し、“グローバリゼーションという名の世界の画一化”に抵抗しているのか、その実体についてはぼくは知らない。最初にできた「スローフード協会」の活動をホームページで見たら、何かイタリアワインのテイスティング会みたいな催事が出ていて、あらら……と思った記憶はあるけれど。

 そして、島村さんに会ってから6年近く。彼女が何をやっていたかというと、そうしたあちこちの「スローフード協会」に関わりながら、日本の食の現実を見て回っていた。その一部は彼女が雑誌に発表するものでときおり目にしていた。
 その集大成が、今度の著書『スローフードな日本!』だ。もちろん、すぐに読んだ。読んだら会いたくなって、3月だったか久しぶりに連絡を取り、会った。もちろん今回も建前はインタビューだ。

 本書の感想をひとことで言えば、前著『スローフードな人生!』の世界が牧歌的に見える、ということだった。何のかんのといっても、イタリアの人たちはまだイタリアの伝統的な食べ物を食べている。マクドナルドのローマ進出こそ止められなかったものの(これが「スローフード運動」の端緒であることはよく知られている)、いまだローマにはコンビニエンスストアはない。法律が禁じているからだ。
 それに比べたら……いや、日本の食の現実は比べようもないほどひどい。それは本書を読んでいて腹立たしくなるほどで、朝はトーストとコーヒー、昼はパスタ、夜は中華料理を食べて平気で、「あなたはいったい何人(なにじん)か」というのは、『粗食のすすめ』の幕内秀夫さんだが、そうした食のスタイルはもとより、食糧自給率4割にまでなってしまった現実、ヒタヒタと押し寄せる遺伝子組み換え食材の問題、その種子は片手の指で足りるほどの多国籍企業が握っているという事実……と、ホント、ヤになっちゃうぐらいで、この本を読みつつわが家の最寄りの駅で電車を降り、今夜の晩飯の買い出しと駅前のスーパーに入ったら、途方に暮れてしまったほどだった。

 しかし、どっこい日本でもがんばってるスローフーダー(本書ではこのことばは使われていないのだけれど)たちがいる――というのが、本書の主眼でもあり、また読む者にとって希望なのだが、だからここでも、その書評をやろうと思っていたら、非営利団体を運営する仲間から、ニューズレター用にもらった一文がとてもよいので、筆者の許可を得て、ここに掲載します。彼はわれわれの団体にも関わりながら、杉並区で「スローフード運動」をやっている人で、そのことならではの視点があるからだ。

■『スローフードな日本!』 島村菜津著/1575円(税込)/新潮社/06.02

 前著『スローフードな人生! イタリアの食卓から始まる』の出版から約6年。日本におけるスローフード運動は、すべてこの本から始まったと言っても過言ではない。
 著者はイタリアで出会ったスローフード協会とその運動の趣旨を極めて正確に理解し、自らの主張も交えながらそれらを伝えた。これは日本のスローフード運動の発展にとって幸福なことであった。だからこそ、それに触れた人々の多くは、島村菜津という媒介者に触れながら、「スローフード」という言葉の意味するものを日本で実践すべく、次々と支部を立ち上げながら参入していったのだった。

 2002年6月に新宿で(日本で「スローフード協会」と名乗りを上げた)支部リーダーズ会議0(ゼロ)会が行われた際、支部と呼べるものは9つしかなかった。いまやその数は46(2006年5月現在)になっている。4年前の新宿で、著者は、「私にとって今日はもっとも待ち望んでいた日」と興奮しながら述べていた。
 その頃すでに精力的に全国の生産者や加工業者を訪ねて回っていた著者が、当時こう語っていたのを思い出す。
「日本にはイタリアに負けないくらいスローフード的な題材が豊富にある。2003年の秋には『日本におけるスローフード』の本を出す予定だ」と。
 あれからさらに3年。ようやく本書が出版されたことを感無量に思う。
 とは言え、なぜ3年前に完成しているはずの本書が、ようやく今、出版されたのか。ここには、その後の著者と日本におけるスローフード運動の蜜月が微妙な形で終焉し、ある種の苦闘の様相を呈してきた背景がある。

 本書が前著『スローフードな人生!』ほど晴れやかな印象を与えず、希望とともにため息のようなものが感じ取れる気がするのも、単に日本の食にまつわる現状の難しさだけではなく、日本においてスローフード運動をきっちり根付かせていこうとすることの難しさに直面してきた月日が、ドキュメンタリー的に行間に刻印されているからだろう。

 2002年からわずか3年半で37もの支部が誕生した背景は様々だ。マスコミはこぞって「スローフード」という言葉を取り上げたが、肝心の中身は置き去りにされた。一方で、すでに持続的生産の現場に携わってきた人々にとっては、スローフードと言ってみたところで、自分たちのやることにとりわけ変化が生まれるわけでも箔がつくわけでもなかった。
 様々な状況の中での板ばさみ。その中で喘ぎながらも、なお自らがこの国にもたらした「スローフード」に望みを託し、活路を見出していこうとすること――著者・島村菜津の苦闘のドキュメントとして読まれるべき書物、それが本書だ。
          佐々木 俊弥(スローフードすぎなみTOKYOコンビウム代表)

 ぼくもぜひ多くの人に読んでもらいたいと思っている。



(23:49)

April 13, 2005

芹沢俊介・高岡健著『殺し殺されることの彼方 少年犯罪ダイアローグ』
 
殺し 街を歩いていたり電車に乗ったりしていて、ふとまわりの見知らぬ人々の中から放射される理由なき(だって知らない人なんだもん)悪意、あるいは憎悪みたいなものを最初に感じたのはいつだっただろうか。千葉に住んでいた頃だから、10年以上前であることはたしかだ。本書の著者の一人である芹沢俊介さんに初めてお会いしたのは本誌の取材でだったが、その折りに、その"嫌な感じ"を話したら、「僕もひどく感じます」と共感していただいたことを憶えている。
 
 のち(本書でも指摘されているが)、某書で「1995年がターニングポイント」という指摘を目にし、ああこれなのだ……と腑に落ちた。1995年とは阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の年である。
 そう、ぼくたちは"あれ以降"の時代を生きている。したがって、"あれ以前"の目からすれば特異に見える少年事件の数々も、またそういう時代の中で起きているということから捉え、見なければならないと思う。
 
 本書は、少年問題に深い関心を寄せる評論家(芹沢氏)と精神科医(高橋氏)が、佐世保同級生殺害事件、長崎園児殺害事件、大阪池田小学校事件など近年起きた「不幸にも少年が加害者にならざるをえなかった事件と、不幸にも少年が被害者になってしまった事件」(高橋氏のあとがきより)について、往復書簡と対話によって語り合うことで特異に見える個別の事件が内包する普遍性を見いだそうとし、さらにそれら事件を通して時代状況を照射しようとする試みである。

 「孤立化とぬぐいがたいくらいに深い相互不信」――芹沢さんは、これが今の社会を覆っている“気分”だと書いている。
 本書で取り上げられた事件はもとより、特異に見える近年の事件のある部分は、そうした“気分”の中から生まれてきた"憎悪のひとつのかたち"なのだと思う。
 
東海教育研究所 月刊『望星』2005年1月号所載                

 


(06:02)

April 09, 2005

養老孟司・玄侑宗久著『脳と魂』
 
脳と魂「我思う。故に我在り」というのは、まさに首から上だけで世界を捉えようとしてきた近代を象徴していると思う。しかし、それだけでは間尺に合わなくなってきた、説明つかなくなってきた、というのが、このところの時代の流れで、本書をひとことで言えば、そういう近代的物言いではいまのところ説明つかないことについて、人間のアタマの限界を「バカの壁」と命名して説いた脳科学者と、霊だの死後の世界だのといったこれこそ近代的論理では割り切れない物語で芥川賞を受賞した禅僧が語り合ったもの――と、ちっとも説明になっていないか(笑)。
 
 というわけでもあるまいが、対談の話題はアタマではなくカラダ、昨今流行りの身体論から始まるのだが(私見だが、今日の身体論ブームのきっかけは養老氏が古武道家・甲野善紀と対談した『古武術の発見〜日本人にとって「身体」とは何か』1993だと思っている)、何かを論理的に突き詰めようというのではないから――というか、論理的に突き詰められない話だから――話は「あのとき、こんなことがあって、こうだった」というような、ごくごく具体的にならざるを得ない。
 しかも、突き詰めていこうとしているわけではないから、展開も縦横無尽……というより、あっちへ飛び、こっちへ渡り。ひとつの話が次の話を呼び、間の手で入れた茶々から話題がまた転換していく。その展開の流れが目次の「観念と身体」「都市と自然」「世間と個人」そして「脳と魂」という順なのだろう。
 
 いわば、大いなる雑談と言っていいと思うが、養老先生が博覧強記なのはよく知られているけれど、玄侑氏も負けてはいないから、その雑談の中身がとても濃い。教養のない身には何のことだかかわからない話も多かったが、次から次へと展開する話のスピードに乗せられて、ついに読破してしまった。
 オルタナティブなものの見方・考え方に興味・関心のある人には、とてもエキサイティングな対談だと思う――と、やっぱり説明になっていないか。
 
東海教育研究所 月刊『望星』2005年4月号所載

 
追記:その後、編集部から以下のようなメールが転送されてきた。
 
「望星」4月号のBOOKS
麻生タオ氏の『脳と魂』の書評の転載をご承諾いただきたいと存じます。
すみませんが、HPにてすでにUPしております。
誠に申し訳ございませんが、
よろしくお願い申し上げます。
 
http://www.genyusokyu.com
 
 何と玄侑さんのサイトからだ。へえ、そんなに面白かったのか(ぼくとしては、何せ“大雑談”だから書きようがなく、こんな始末になってしまったのだった)と思ったのだが、サイトを見てみると、何のことはない、メディアに出た書評はすべて網羅されていたのでした(笑)。
 


(23:19)