酔夢楼日常

January 02, 2006

 昨年最後の用事は28日、「万歩計日和」のMIZUGAME氏と芝の増上寺へ行くことだった。もしかしたら増上寺内のスペースが借りられるかもしれないという話があり、であれば、ちょっとしたイベントをやりたいと思っているからだ。
 モノはMIZUGAME氏がハマり、プロデュースしてCDをつくってしまった
クリスタルボウル(水クリスタルボウルCD「倍音浴」晶でつくったボウル=bowl)という、簡単に言ってしまえばヒーリング音器によるライブだ。
 このかたちの金属製のものはお寺に行くとある。「お鈴(りん)」という仏具で、読経の最中に
棒で叩いてゴーンと鳴らすあれだ。クリスタルボウルも、叩いたりこすったりして音を出し、その響きというか波が心身を調律してくれる――というもので、お鈴と無縁ではないところもあって、彼とぼくとで「お寺でライブをやったら面白いよね」という話になり、実は昨秋、いくつかのお寺で実施してみたところ、予想以上によかった。そうしたら、その中のあるお寺さんから、「増上寺でもやれるかも」という話が出たのだった。
 増上寺といえば浄土宗の大本山であり、徳川家の菩提寺として東京(江戸)を代表するお寺のひとつである。そこでライブをやれたらすごいじゃないの。
 ということでの増上寺見学だったのだが、結果はどうやらやれそうな雰囲気で、そう、4月の終わりか5月あたりのエアコン不要な季節(空調機の音はかなり影響するから)で考えてみようか、というような話で終わったのだった。
 で、MIZUGAME氏らとは大門の中華料理店で遅めの昼食をとって別れ、新宿でTSUTAYAでDVDを返却したり、借りたりなどの用事をすませ、夕方にはおとなしく帰宅した。「さあ、明日からは大掃除モードだ」と心に言い聞かせつつ。ところが……。

 酒場に引っかかることなくおとなしく帰ったというのに、翌日目覚めたら、その途端、「あ、こらアカン」とわかるほど発熱していた。何しろ、寝床にいるのにいきなりからだにガタガタと震えがきたのだから。
 症状としては風邪である。熱がある。咳をすると気管支のあたりが痛い。しかし、風邪でないことはわかっている。年内、とりあえずやれることをやったということで気がゆるみ、そのゆるんだ隙を狙って何かがドッと押し寄せ、変調をもたらしたのだ。実はこんなことが2年に1度ぐらいある。あとで考えると、いつも何かしら一段落したようなときで、朝、いきなり、「あ、今日はダメ、もう」ということになってしまう。

 中年の独り暮らしはお気楽だが、こんなときばかりは情けない。情けない以上に、せっかく気持ちは大掃除モードになっていたのに、からだが裏切ってしまったのだからくやしくてしかたがない。なぜ大掃除にこだわるかというと、めったに掃除をしないので、「せめて正月前には」という気持ちはもちろんだが、それをやらないと本や雑誌、仕事関係の資料、そのほかあれやこれやで散らかり放題で足の踏み場もないわが居間兼仕事場に炬燵を設えられないからだ。
 わが家は武蔵野の一角にある古い2階屋で、生活の主たる場所である階下は、夏は涼しいのだが、冬は地面の冷気が床にじかにくるのでとても寒い。暖房機としては古い冷暖房エアコンと、石油ファンヒーター(前のが不調で買い換えたばかり)があるのだが、熱気というのは上に昇るものだからして、いつまでも下にたゆたっていてくれない(2階に行くと、その熱気が溜まっていて、何もせずとも暖かいぐらいだ)。
 エアコンの温風は吹き出し口を下向きにしていても、出る熱気、出る熱気、すぐに上に逃げてしまって、床に座っているぼくにはちっとも届きやしない(言い忘れたが、仕事は炬燵台――もちろん冬場以外は炬燵布団はない――にノートパソコンを置き、座椅子に座ってやっているのです)。一方、ファンヒーターというのはファンの音がうるさいといえばうるさいし、あのなま暖かな風は長時間だと気持ちが悪いのでときどきは止める。

 そうした条件で言うと、炬燵は少しの電力で下半身をしっかり温めてくれるから、上は何かを羽織っていれば十分に暖かいし、エネルギー的にも効率的である。
 であるから、わが家の冬には炬燵が必需なのである(もっとも、炬燵が大好きというのもあるけれど)。
 ゆえに清々しい気持ちで、かつ暖かく正月を迎えたい――と望むのであれば、ここで一発大掃除が必要なのだ。なのに、ここにきて熱に倒れるとは……。

 などと嘆いている暇はない。ここは早く体勢の立て直しが必要である。
 そこでブルブル震えるからだを何とか起こして台所へ行き、2リットル入り薬罐セーターを着た湯たんぽと1.2リットルのガラスポット2つに湯を沸かした。一方、湯が沸く間にはトイレへ行って、体内の出すべきものを出した。そして、沸いた湯のうち薬罐のそれは先日、東急ハンズで買った湯たんぽ(スグレモノである。この冬買ったものの中では一番のヒットだった)に、ガラスポットのはマグカップに注いで寝床に戻り、マグカップの熱い湯を飲んで、湯たんぽを抱いてまた寝ることにした。とにかく内と外から温めようと思ったのだ。その熱がどれほどのものだったのかは、測っていないのでわからない。わかったってしようがないもの。ここでは、トイレと同様、出るものはとにかく出してしまおうという考えです。

(写真が湯たんぽ。塩ビ製でフィッシャーマン柄のタートルネックセーターを着ている)

 からだの寒さはまだ続いている。頭のあちこちに頭痛というほどではないが、微妙な違和感――後頭部のあたりがジーンとするとか、血流が悪くなっているような部分を感じるとか、額の生え際のあちこちを押すと痛感があるところがあるとか――がある。そこで、“心身を調律する”という前出MIZUGAME氏制作のクリスタルボウルCDをかけ、イヤホンで聴きながら目を閉じる。実際、このCDを聞いて頭痛がすっきりしたなどという報告が彼のところには寄せられている。
 やがて、こんどは猛烈にからだが熱くなってくる。だからといって掛け物をはがしたりせず、がまんする。汗が出てくれば、汗を拭う。そしてしばらく眠る。そう、1時間半ほどばかり。目が覚めるとまた尿意があるのでトイレへ行き、白湯を飲んで横になる。再び寒気が襲ってくるが、湯たんぽを抱きしめ凌ぎ、まどろみ、目が醒め、トイレへ行き、水分を摂って寝る――この繰り返しだ。面白いのは、目覚めるたびに尿意があることで、補給した分が寝ているうちにからだを通って出る、という感じ。これはどういうことなのだろう?

 つらいかといえば、そうでもない。熱が出るということは、からだの免疫システムが激しく活性化しているということだ。たとえばこのとき、リンパ球はがん細胞を攻撃して破壊する。この作用を逆に取ったのが、からだを外側から極限まで温めることによって免疫を活性化し、がん細胞をやっつけようというがんの温熱療法だ。だから、熱が高いときには目を閉じて、「ああ、ワタシの中のがん細胞が壊されていく」と思うことにしている。そうすると、この熱もありがたいものに思えてこないでもない。

 この戦いの始まりがいつだったか、いまとなっては定かではない。午前11時頃ではなかったかと思う。そして激戦が終わったのは、目覚めてみたら夕方6時だった。もちろん完全復活したというわけではなく、発熱のピークを越えて、からだは多少ふらつくものの、起き上がって何か簡単な作業ならできそうだ、という程度なのだが、そこで、「ここだ」と思い、自転車をギコギコ漕いで(足がとっても重い)ドラッグストアへ行き、漢方薬エキス剤の「葛根湯」12包入りを購って家に戻り、白湯で飲んで、また寝た。
 アスピリンベースの解熱剤は手元にあったのだが(別の理由で常備している)、こういうときには飲まない。なぜなら、発熱が免疫の活性化だとすれば、それを抑える解熱剤は免疫を抑えるからだ。ま、このへんの案配は、自分のからだとの相談だよね。

 ……終戦の締結状態になったのは、夜の9時頃だったろうか。
 熱はほぼ平熱に戻っている。喉の痛みは『南天のど飴』程度で何とか治まる気配があった。何より空腹感があったから、もうあらかた大丈夫だろうという実感だった。そこで、炊飯ジャーの中のめしを粥にし、友達からもらった門前仲町で購ったという昆布の佃煮を菜に食べ、ようやく生き返ったのだった。
 あーよかった――とはいかない。生き返る目的は大掃除なのだからして。とはいえ、まだ掃除に取りかかるほどの元気はないから、この日は捨てることにして、すこーしバーボンを飲み(オイオイ)、TSUTAYAで借りたDVDを見(オイオイオイオイ)、葛根湯を飲み、湯たんぽを抱いて明け方寝たのだった(何せ1日寝ていたものだから、眠くないのだ)。

 以降は端折る。翌30日に活動を開始したのは午後。まだからだが怠いので、掃除は先延ばしにして買い出しへ。ひと駅隣の駅前にあるショッピングビルの地階には自然食品店があるので、そこで餅(丸餅)や何かを買い、わが町に戻って駅前スーパーでその他必要品を買って帰ったのだが、もう少し元気があったので、とりあえず玄関を掃き清め、入り口にしめ縄を張った。それからトイレと風呂場(汚と浄の場。西洋では一緒になっているところに何か意味がある?)を大雑把ながら何とかすませ、そこで力尽きた。夜中の1時半だった。
 何で1時半かというと、この日のこの時間からは、毎年楽しみの『朝まで生鶴瓶』(笑福亭鶴瓶のワンマンステージ)がテレビであり、見逃せないからだ(笑)。ゲストはここのところすっかり常連のアルフィー・坂崎選手(この番組については、いつかあらためて書きたい)。

 大晦日。この日も体調がすぐれず、寝たり起きたりで、ようやくキッチンの掃除に取りかかったのは夕方5時。一番大変なのはレンジまわりで、今年は秘密兵器の洗剤を通販で購い、真っ黒になったレンジと格闘すること3時間。何で3時間かというと、すぐに疲れるので、ちょっと戦っては炬燵台の前に戻り一服し、というのを繰り返していたためと、そのうちテレビで『プライド男祭り』などが始まったためで、ちょっとやっては疲れてテレビの前に戻り、休憩してまた取りかかる――というような案配だったから。
 キッチンの掃除が終わると、ようやく正月の準備だ。レンジに寸胴の鍋をかけ、水を張り出汁を取る。一番は翌日からの雑煮のそれだが、今夜の年越し蕎麦のかけつゆもこれで行くつもり。長崎産のアゴだし(トビウオの粉末のパック)と干し椎茸を放り込んで火を付ける。買い置いていた数の子を塩出しする――まあ、その程度。
 そうこうしていた
年賀状2006ら、『K-1』も始まって、もうどうしようもないよね。中でも吉田vs小川戦はよかったな。ボビーvs曙戦も始まって、チャンネルを行ったりきたりが忙しくて、掃除どころではない。お腹も空いてきたので、年越し蕎麦をつくって食べ、少しばかり酒を飲み、今年最後の風呂に入ったら、深夜2時をまわっている。
「もう全部はダメ」と観念し、「とにかく炬燵を設えるために」と居間の掃除に取りかかり、炬燵台のまわりだけとにもかくにも手を入れて、ようやく炬燵台に布団を掛けたのは5時頃だっただろうか。あー疲れた(ちっとも端折っていないぞ)。

 おかげでいま、暖かい炬燵でこの一文が書けているのです。

 



(05:05)

October 24, 2005

東急ハンズで買ったおニューの老眼鏡 老眼鏡の片方のパッド(鼻に当たる部分)を支える金属部分がペキッと折れた。
 まあ、始終かけるものではないので、片方ぐらいなくとも不便さはないのだけれど、外の人のいるところでかけるにはちとみっともないので、新しいのを買った。

 壊れた老眼鏡は、東急ハンズ新宿店で買ったものだった。2000円台だったと思う。やっぱり安いのは壊れやすいのかなと思い、今回は近視用のメガネをいつもあつらえている「和真」新宿店に行った。この店とはどれぐらいのつきあいだろう……といっても、メガネなんて毎年つくったりするものではないから、5代前のメガネ(うち1個は度付きサングラス)ぐらいからだが、それでも十数年にはなる(ぼくの場合、度が変わるだけでなく、ときどきなくしてしまうのです)。で、あつらえに行くと、うれしいじゃないの。最初につくったメガネからずっと記録が残っている。賀状と、誕生日にハガキがくる。内容はおおむねセールのお知らせだが、ハガキを持参すればくれるプレゼントの案内と、全商品対象の割引券がついている。

 千葉に住んでいたときに、一度だけ浮気して、浦安駅前のメガネ屋でつくったところ、できあがりをかけてみて、ちょっとばかり違和感を感じた。ま、新しいメガネだから慣れないのかナ、と思っていたら、近視のほうはともかく、裸眼のほうがおかしくなってきた。
 近視といってももともとたいしたことがない程度なのだ。
 この商売を始める20歳過ぎまで両眼とも視力は1.5あり、初めてメガネをかけたのは30歳のとき。映画館で洋画のスーパーがぼやけて読みづらくなったからつくったので、以降、多少度は進んだとはいえ、家にいるときには必要ないし、本だって雑誌だってテレビだって裸眼で平気だった。
 それが、ちょっと見づらくなったのだ。合わないメガネのせいだったのかどうか、ともあれこれが老眼の第一歩だった。40代に入ってすぐだった。
 調子がいいときは雑誌の文字などは大丈夫なのだが、薬のパッケージの文字など小さいものがお手上げになったし、辞書もダメ。で、最初はルーペで対応していたのだが、その調子のいいときがだんだん少なくなっていき、出張校正で大量のゲラを見ていると、目が疲れてぼけてくる……というような段階があり、ついに買った老眼鏡が壊れてしまったやつである。

 老眼鏡をかけることには、何ともいえない感慨がある。「ああ、オレもついに……」という思いなのだが、別に悲しくはない。むしろ、妙な快感さえあって、これはいったい何なのかねえ。

 老眼鏡をかけるようになってからも、近視用のメガネはつくっているのだが(もちろん和真で)、面白いのは多少あった乱視が矯正されたことだ。また度も少しだがよくなっていた。老眼のおかげである(といっても、ありがたい話ではないけれど)。

 で、和真に老眼鏡を買いに行ったら、既成のものはシンプルなメタルフレームのもの3タイプしかない(各2100円)。老眼鏡といえどもやっぱりもう少しデザインされたものがほしいので、仕方なく足を伸ばしてまた東急ハンズで買ったのが写真のものだ。これも2000円台だった。
 では、壊れたほうはどうしたか。
 実はトイレに読書用として置いてあります。



(15:42)

October 10, 2005

 パソコンを立ち上げてまずやることは、誰だってそうだと思うがメールの確認だ。
 いつの頃からか、開くとメール数が60通だの70通と届くようになった。いや、ぼく個人宛てに知人・友人・仕事先からそんなに来るわけではない(そんなに来るほどメールのやり取りをしたり、仕事がたくさんあったりするわけではない)。
 ぼくが関わっているある非営利団体宛に来るメールが転送されてくるように設定していて、大半はそれなのだ。しかも、中身はというと、もちろん大事なものもあるのだけれども、それ以外は無差別に送りつけてくる出会い系やH系サイト、海外からのわけのわからないサイトからのもので、しかも事業によってアドレスを複数設定しているものだから、前記のような数に上ってしまう。
 ゆえに、まずやることはメールの確認であり、それらわけのわからないメールの削除で、いちいち中身を見るわけではもちろんないから、次々と削除するのだけれども、精神的にくたびれてしまう。いー加減にせーよ!

 最近、手が込んできたのは女性名で来るメールで、もう慣れたから見知らぬ名前については片っ端から削除するのだが、中で1回だけ引っかかったのがあった。なぜかというと、単発ではなく、日をおいて送られてくるシリーズものだったからだ。
 で、一度は全部削除したのだけれど、振り返ってみたらなかなか面白かったな、と思っていたら、再びアプローチして来たので、今度は取っておいた。
 それが以下の、名付けて「井川りかこ物語」である。

 さて、最初のメールだ。

【プロローグ】
To: ××××(ぼくが関わっている団体のメールアドレス)
From: 井川りか子(××××=先方のメルアド)
Subject: 私のアドレスにメールした記憶はありますか? 

私のメールボックスにエクセルらしき添付ファイル付きでメールが来てたんですが…どんなご用件でしょうか?
送信者アドレスが私の知らないアドレスだったので、何か間違いかと思って。

添付ファイルの内容はもしウィルスだったらと思って開いてません。
4458_sumi_15.xlsと言う名前のファイルです。
もし重要な書類だったらと思いメールしたんですが…。
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井川 りかこ

 その団体のホームページ担当者T(30歳、♂、独身)は律儀に「送っていません」と返事したらしいが、責任あれば誰だって返事してしまうだろう。
 そうしたら、次のメールが……。

【第1章】
To: ××××
From: ××××
Subject: 添付ファイルの事でメールした井川りかこです。 

私の方でもパソコンに詳しい知り合いに聞いてみたりして調べたんですが、いたずらウィルスじゃないかと言う結論になりました。

ただ、開かなかったのでウイルスに感染してはいないようです。
お騒がせしてごめんなさい。
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井川 りかこ

 これで一件落着だと普通は思うよな。そうしたら急展開……。
           
【第2章】
To: ××××
From: ××××
Subject: 井川りかこです。何度もメールしてしまって

無神経かもしれませんが…もし良かったらメル友とまではいきませんがメール交換でもしませんか?

実は先週離婚して今、実家に居るんです。
近くに誰も話相手もいないし。突然届いたメールに返信してしまったと言うのもあるんです。

もし暇なお時間とかあるんでしたら、お話し相手にでもなってくれませんか?
無理にとは言いませんので。気が向いたらでいいです。お返事下さい。
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井川 りかこ

 このあたりでぼくも彼も怪しいと思ったのだが、続いて……。

【第3章】
To: ××××
From: ××××
Subject: どうも、井川です。

何もする事が無く、迷惑かと思いつつメールに手が伸びてしまいました。

メル友をお願いしたとは言え、何も知らない私にメールするのも微妙ですよね…。
一応自己紹介しておきます。

32歳で、先週離婚したばかりです。子供は居ません。
今は実家に一時的に住んでいます。

離婚の原因は…夫の浮気です。
2週間も家に帰って来なかった時期があったりとずっと前から怪しかったのですが。

色々と調べた結果、会社の部下と浮気を2年していた事が発覚して。
まぁ、よくある話ですが自分にまかさ起こるとは思いませんでした。

こんな話をするのは少し気が引けたのですがお話を聞いてくれる相手もいなくて。

勝手に私一人盛り上がって迷惑をかけるのも嫌なのでこの辺で。
またメールしてしまうかもしれませんがお願いしますね。
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井川 りかこ

 夫の浮気に悩む人妻、というキャラクターで迫ってきました。さらに……。

【第4章】
To: ××××
From: ××××
Subject: メール楽しいですね。井川です(^-^) 

実家に居るからと言って親に甘えようと思ってたのですが…出戻りなんだからと言う理由で家事は私がさせられています。

離婚後の良い気分転換だとは思うんですけど。
親には毎日、毎日、言われるんです。
早く恋人の一人でも作ったら?って。

確かにこっちに戻って来てから私の周りには異性の気配がしませんが…気分なんてそう上手に切り替えられないですから…。

それと、思ったんですがやはり私が何処に住んでいるのか気なりますよね?

実は実家と住んでいた家は隣の県なので(^^ヾ戻っているとは言えない感じです。

ただ、あくまで今はメールでの関係ですからあえてそこは知らなくてもいいのでは?そう思って言わないんです。

もし、これが実際に会うと言う話になるのなら少しは違いますがそれは私は今は考えてないので。

こっちに戻って来てから少し変わったと言えばデジカメを買って色々と写真を撮るようになりました。
風景の写真、空の写真、自分の写真。日記の様に撮っています。

別に何でもないんですが。
新らしい事を始めるのって少しですが違いますよね。

何か今興味あってしてる事ってありますか?

長くなってしまってごめんなさい(^-^;
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井川 りかこ

 これだけ読むと、まるでこっちが相手の誘いに乗って、メル友になったみたいじゃないの。早めに言っておくけれど、決してそんなことはないぞ。しかし、生活のディテールを書くというリアリティ作戦がニクイね、どうも。

 さらにフレンドリー、かつ核心に迫りつつ、読んだ本の話なんかあって……。

【第5章】

To: ××××
From: ××××
Subject: 何だか日課になりつつあります。井川です(^-^)

昨日色々考えてたんですが。男の人ってどういう感覚で女性を見るんでしょう?
やっぱり素敵な女性はどんな状況でも結婚していても一番好きな人がいても抱きたいって思うんですかね?

男の人と女は違いますよね。

逆に綺麗じゃない女性でも抱かせてくれるならそれはそれで受け入れてしまうのでしょうか…。

私自身、22歳で結婚するまでは男性とお付き合いした経験が無かったもので(^-^;

別れた主人が最初の恋人であり、生涯の相手だと思ってたんですけどね…。

写真、撮ったの送ってみたりしたいのですがウィルスとかやっぱり私自身添付ファイルには怯えているので機会があったら見せたいと思います。

今日はなんだか少し脱力していてずっと本を読んでいました。

川北義則著、いちばん大切な生き方 ひとりになって、見えてくることわかること
と言う本です。

本屋さんで見かけてついつい買ってしまったのですが。

正直文字が頭に入って来ないので眺めてる程度でした。

昔は漫画ばかり読んでた自分がこういう本に手を出すのは変化なんでしょうか。
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井川 りかこ

 川北義則さんというのは知らないが、調べたらこんなプロフィールだった。

1935年大阪生まれ。1958年慶應義塾大学経済学部卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。文化部長、出版部長を歴任。1977年退社、日本クリエート社を設立する。現在、出版プロデューサーとして活躍するとともに、生活経済評論家として、新聞、雑誌などに執筆。講演も多い。主な著書に『人生・愉しみの見つけ方』『いまはダメでも、きっとうまくいく。』『40歳から伸びる人、40歳で止まる人』(以上、PHP研究所)、『自分のための24時間』(三笠書房)、『中高年のマーケットを狙え!』(ダイヤモンド社)、『だれでもできる30歳からの貯め方・殖やし方』(河出書房新社)ほか多数がある。

 ともあれ、こうなると次のメールに期待大だ。そうしたら……。

【終章】
To: ××××
From: ××××
Subject: 井川です。勇気のいる告白ですが…。 

このメールアドレスが明日には使えなくなってしまうみたいなんです。

私、メールをしながら錯覚してしまったのかもしれませんが、以前はメールだけの関係と言ってましたが。
正直な意見として会ってみたい。そう思ってしまいました。

勇気がないので…直接伝える勇気の出ない言葉と私の写真を住んでる地域情報サイトに載せました。

サイトの「お相手検索」から「恋人募集」にして、私の血液型「O型」を入れたら検索できるはずです。
名前はそのまま「井川りかこ」で待っています。
×××××(サイトのURL)
このURLから見る事が出来ます。
もし、そういう出会いを求めてくれるのであれば私の携帯の番号を教えます。
私のフリーアドレスでも平気だったので簡単に使えました。

それでは、待っていますね。
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井川 りかこ

 というラストレターでありました。 
 そしてぼくらも、井口りか子嬢とお別れしたのでした。

 りかこォ、元気かぁ〜。

※このメール群の日付は今年の6月〜7月で、本文を書いてからウェブで調べたら、大変な話題になっていたことを追記しておく。



(01:42)

September 06, 2005

叡山から琵琶湖を望む この夏、急に思い立って比叡山に行ってきた。

 思い立ったのは、滋賀は琵琶湖畔の町・大津に取材に行ってほしいとの急な依頼があったことだった。大津は京都で新幹線を乗り換えると東京からは片道3時間だから、当然日帰りの行程だ。ところが取材日はお盆入り直前の12日で、しかも金曜日。ひょっとしたら新幹線が満員になるのではと思い、ならば前乗りするか(もちろん泊まり代は自腹である)。前乗りするとしたら、その日はどうするか……と、ウェブで取材先のあたりのことを調べたら、最寄り駅が「比叡山坂本」とあるじゃないか。
 そうかそうか、坂本であったか。ならば比叡山延暦寺の門前町ではないかいな――ということで、急遽、「よし、比叡山に行こう」と決めて出かけたのだった。

 比叡山には前々から一度行かなければと思っていた。
 その理由についてはあとに述べる。
 ともあれ新幹線「のぞみ」で京都まで行き(朝に出たのだが指定席はすでに満席だった)、京都でJR湖西線に乗り換えるとわずか15分程度で「比叡山坂本」駅につく。
 徒歩で延暦寺へ行く人は、ここから「坂本ケーブル」というケーブルカーに乗る。このケーブルカーは、事前に調べた情報によれば、日本一長いのだという。全長2025メートル。これを11分で登りきる。
 といっても、比叡山坂本駅とケーブルカーの駅が近いわけではない。駅前からバスが出ていて、これもウェブの情報では“所要時間7分”とある。そして、ケーブルカーの発車時間は、毎時00分と30分。
 で、僕が比叡山坂本駅に降り立ったのは午後1時05分。駅前にはバスがスタンバイしている。しかしバスで7分ならたいした距離ではないかもしれないと思い、駅の売店のおねえさんに「歩いてどれぐらい?」と聞くと、「20分ですね」という。ならば、5分前には着くな。よし、ここはひとつ日頃の運動不足を補うためにも歩いていこう。

 ……歩き出して3分で後悔しました。
 だいたい琵琶湖畔というのは、夏は暑いばかりか湿気が高い。延暦寺の坊さんたちの日常をケーブル駅までの道言い表したことばに「論湿寒貧」(ろんしつかんぴん)というのがある。「論」は議論、「貧」は質素な生活、そして夏は湿気て暑く、冬は寒い――という意味だが、歩き出した途端にそのことばを思い出した。暑い! しかも、麓から山に向かっていこうというのだから、ゆるやかだが登り道である。
 でもって、歩けども歩けども、それらしい建物がちっとも見えてこない。曲がりくねった登り道がひたすら続くだけなのだ。20分で到着しなくちゃと思うから、自然足は速くなるよな。暑いうえに速歩(はやあし)だから、日頃運動不足のこともあって、息が切れてくる。

 そのうち「駅まで500メートル」なんて看板が目に入る。まだ500メートルもあるの? と時計を見ると発車まで10分を切っている。さあ、さらなる速歩が必要だが、登り勾配は歩き始めよりきつくなっている。
 暑い。汗が噴き出る。足は疲れてきた。息は上がっている――で、何とか駅にたどり着いたのだが、ぎりぎり滑り込みセーフだった。あの売店のお姉さんの言う「20分」というのは、ひょっとしたら回峰行をやる比叡山の初心者坊主の速度ではないかと思ったほどだ。

 それからケーブルカーに乗り込んだものの、汗が止まりゃしない。頭からからだから出るわ出るわ、ジーンズのベルトにぶら下げていた和手拭いで拭っても拭っても吹き出てくる。結局、山頂の駅に着いても止まらないから、駅のトイレの水場で顔を洗い、水で濡らした手拭いで胸や背中を拭いて、ようやく落ちついたのだった(たまには運動して、いい汗かけよ!)。

延暦寺までも山道である さて、そこからまたしばらく山道を歩いていくと、やがて山門が見えてくる。
 伝教大師最澄が開いた比叡山延暦寺――世界文化遺産である――は、天台密教の総本山である。もうひとつの密教、弘法大師空海が開いた真言宗の総本山・高野山には2度行ったが、そこは普通の人々も暮らす町だった。しかし、ここ延暦寺は単に山の中に寺があるばかりである。寺関係しかない。以上、感想終わり。

 延暦寺のメインの建物である根本中堂で、他の観光客に混じって坊主の説明を聞いたり(さすがに大きなお堂の中は涼しい)、歩いていると鐘の音が始終鳴っているから、何でずっと鳴っているんだろう? と鐘楼へ行ったら、「ひと突き50円」というトコロテンみたいなことが書いてある札が置いてあって、人が列をなしている。もちろんぼくも鐘は突きました……と、寺へくれば誰でもやるようなことを一通りやったあと、土産物屋へ向かった。
 土産物屋で捜し物があって、じつはそれが比叡山にきた一番の理由だったのです。

 1年半ほど前まで、『むすび』というマクロビオティックの雑誌に『美味い朝めし。』という連載コラムを持っていた。毎回見開き2ページで、2年近く続いた。日本人の朝めしのアイテム――めし・味噌汁・漬物――をベースに、それらがどう食べられてきたかを考察することで、日本人の食文化を探ろうというものだったが、「漬物編」ではどうしてもたくあんのことを避けては通れない。
延暦寺のシンボル根本中堂 そこで資料に当たっていたら、司馬遼太郎が『街道を行く〜叡山の道』の中で、その発案者について「比叡山の元山大師」と書いていた。その名称も、大師の住房にちなみ「定心房」(じょうしんぼう)だということも。そして、比叡山の坊さんたちがたくあんを食べていたとすれば、「貧」と言いつつ、けっこう贅沢だったじゃないの――と言っていたのだった。
 なぜ“贅沢”かと言えば、たくあんは大根を米糠と塩とで漬ける。米糠は精米することによって出る。つまり、比叡山の坊さんたちは精米した米を食べていた、ということになるからだ。

 本当か? と思った。というのも元山大師は平安期の人であり、調べた限りでは中国から精米器が渡ってくるのは室町期。また、たくあんが広まるのは都市部で精米を食べ始め、大量に米糠が出始めた江戸期だからだ。平安期と江戸期ではずいぶん時代が隔たっている。

 結論から言えば、ぼくが調べた限りでは「定心房」は大根漬けは大根漬けでも、糠ではなく稲藁と塩とで漬けるもので(やはり「貧」である)、似てはいるけれど「たくあん」とは違うものであり、コラムでは「司馬さんは取材不足だった」と書いたのだった。

 とはいえ、司馬さんは“叡山の道”を足で辿っているものの、ぼく自身はといえば比叡山には高校の修学旅行で行ったっきり訪れたことがなかった。かつウェブで検索していたら「『定心房』なる漬物を延暦寺の土産物屋で売っている」という情報を得ていた。
 これは一度訪れなければなるまい。そして、土産物として売られている「定心房」を手に入れ、食してみなければなるまい……と、ずっと思っていたのです。

これが土産物の「定心坊」 それで、根本中堂に近い土産物屋を覗いたら、ありました。しかも食べたら美味かったことは伝えておきたい。なぜ美味かったのかというと、しっかり日干しし、糠と塩で漬け、ウコンで色を付けた、近ごろめったにお目にかからない昔ながらのたくあんだったからだ。

 下山の間際、小腹が空いたので、土産物屋の中にある蕎麦屋へ行った。どうせなら、もう一汗かいてやろうと、熱いきつね蕎麦を食べたのだが……もう汗なんか出ないでやんの。



(19:19)

August 07, 2005

 楊名時さんが亡くなったことを知ったのは、川越にある帯津三敬病院で、帯津良一先生に誘われ、病院の食堂でビールや何やらご馳走になっているときだった。
 このところ、某がん雑誌で帯津先生が語る「ホメオパシー」という連載を持っており、月に一度は川越か、昨年池袋にできた帯津三敬塾クリニックで先生にお話をうかがう時間をつくっていただいている。この日は夕方、1時間ほどのぼくの取材のあと、とくに用事がないということで、「一杯どう?」と誘われてご馳走になっていたのだが、四方山話の中で楊名時さんの話になり、「楊先生が、最後は帯津のところで死にたいとおっしゃっていて、7月3日のことだった」と先生が言ったのだった。楊さんは、よほど帯津先生のことを信頼していたのだとあらためて思った。

※帯津三敬病院やホメオパシーについて、ここで説明する余裕はないので、関心あるむきは、
 帯津三敬病院 
http://www.obitsusankei.or.jp/
 日本ホメオパシー医学会 http://www.jps-homeopathy.com/
 を参照してください。
 
 帯津先生の病院は、がんという病に対して、現代医学(近代西洋医学)のほか、いわゆる代替療法をも用いてアプローチしていることでよく知られているが、その代替療法の基本が気功で、現在でこそさまざまな気功法を指導されているが、その最初が太極拳だった。

 太極拳という健康法――本来は中国を代表する武術であり、革命後は毛沢東の指導で中国国民の健康として制定されたもので、「気功」という概念から言えばそのひとつだ――は、いまでは日本でもポピュラーだけれども、その普及にもっとも貢献した一人が楊名時さんだったと言っていい。
 
 じつはぼくは楊名時さんの孫弟子に当たる。であれば、「先生」と呼ぶべきなのだろうけれど、実際に楊さんから教えを請うたことはなく、そのお弟子のNさんから習い、ようやく一人でやれるようになった1年半ほどで、もっとディープな中国武術の世界に関心を持つようになって太極拳の源流である陳式太極拳や、太極拳と同じジャンルの内家拳のひとつとされる八卦掌などを学び始めたから「先生」という感じはない。その意味では、いま楊名時さんの太極拳を広めている日本健康太極拳協会理事長で息子さんの楊進さんは、ぼくは「八卦掌」を直接習ったことがあって、先生である。
 
 それはさておき、楊名時太極拳を習い始めたのは、ぼくが30歳になろうとかというとき。20代の頃からだらしない生活だったぼくも少しは健康を考えなくちゃね……というような半分義務感があり、その頃、テレビCMで郷ひろみが「カラダにいいこと、何かやってる?」と煽っていたせいもあって、何かやらなくちゃと探して決めたのが太極拳だった。そのきっかけはある編集者のエッセイを読んで、「これは気持ちよさそうだ」と思ったことだったのだけれども、実際に習ってみると、いやホント、気持ちいいんだ、これが。

 楊名時太極拳は、立ったまま瞑想を行う「立禅」(りつぜん)から始まり、「ソワイショウ」(文字がない)という腰回し・腕振り運動、それから「八段錦」(はちだんきん。楊名時太極拳では「はちだんにしき」と呼ぶ)という呼吸法(気功)をやり、そこから初めて24ある「太極拳」の型の練習をし、またこの順番を逆にたどって、終わる――というメニューになっている。
 このメニューの組み立ては素晴らしい、といまでも思う。
 
 
 中国で、そもそもは武術であった太極拳を健身術として普及させたのは毛沢東だった。彼は革命後、“中華人民共和国の建国にとってまず何より大事なのは国民の体育である”とし、選りすぐりの太極拳の達人たちを集めて、諸流派ある太極拳の型を編集させ、健康体操とでも言うべき簡単な太極拳をつくらせた。それが「簡化(24式)太極拳」で、24の型からなり、5分ほどで一通り終わる。中国の映像で早朝、公園などで人々が集って行われている太極拳がおおむねこれだ。もっとも、日本のテレビの報道などはいい加減で、別の気功でも集団でやっていると、「太極拳が行われ……」というようなナレーションを平気で流していたりするけどね。
 
 これをいち早く日本に紹介したのが楊名時さんだった。早めに断っておくが、「一番最初に…」ということではないよ。しかし、教え始めた当初はどうか知らないが、その型は24式ではあったものの、本場の簡化太極拳とは少しばかり違ったものだった。簡単に言えば余計な“手”が入っている。付け加えれば、速度も遅いので10分ほどになる。
 もう一つ。楊さんは、教えるのにあまりうるさくなかったらしい。手の位置、腰のカタチ、足のあり方……そして型の解釈。そのために、習った人が自分で解釈し、それをまた教えていく、ということになった(ぼくの友人にも指導者がいて、そのことはよく知っている)。
 それで一時期、“本格”を標榜する人たちからはインチキ呼ばわりされたこともあった。何が違って、どこが不自然かは、ぼく自身いろいろ学んだのちに何となくわかっているし、楊さんがどうやって簡化太極拳を知ったかについてもいろいろ聞いているのだが、そんなことはもはやどうでもいい。これだけ日本に太極拳を広めた功労者としての評価については否定できないからだ。
 
 ここからは、面白い話を一つ二つ。

帯津先生も指導のときは空手着1.楊名時さんは、楊家太極拳(という流派がある)の継承者ではない。ただし、中国武術の武術家ではある。その楊さんは、日本に来てから、そのことを隠して空手を学んだ。そして、空手である程度の地位(つまり段位)を得たところで、太極拳を披露し、普及させていく。このため、楊名時太極拳のユニフォームは空手に敬意を表して、空手着・黒帯になっている。
 ちなみに、空手着の原型は柔道着。明治時代に講道館柔道(いまの柔道ですね)を確立した嘉納治五郎が、沖縄から「カラテ」なる武術を行う船越義珍という名人を招き、表演させた。ところがカラテは農民の武術であって、稽古着などない。そこで講道館の柔道着を借りて表演した――ということから、カラテは柔道に敬意を表して柔道着を稽古着にしたらしい(詳しい人、間違っていたらゴメン)。
 つまり、楊名時太極拳のユニフォームのルーツは柔道着ということになる。
(写真は帯津先生。帯津先生も太極拳のときは空手着である。)
 
 次は息子さんの楊進さんから、八卦掌を学んでいるときだったか、その後ベースボールマガジン社が出していた『中国武術』という雑誌から、ぼくが太極拳などを学んでいたということから頼まれて、中国武術についての特集などで、何かといえばご協力を願っていた――進さんは理論家としてもすごいのだ――のときだったかに、酒飲み話として聞いた話。明かしてもいいのかしらん?
 
2.進さんが子供の頃、お父さんの名時さんに「街に遊びに行こう」と言われると、嫌で嫌でしようがなかった。なぜなら、楊さんは街に出ると酒を飲み、ヤクザ者などを探しては喧嘩を売って、得意の武術でこてんぱんにするのを楽しみにしていたからだそうだ。
 晩年の好々爺然とした楊名時さんからは想像できないが、武術家の武勇伝としてはよく聞く話で、自分が学んでいるものを試してみたいんだよね、きっと。
 
 
 もう楊名時太極拳から離れてずいぶんたった頃、ぼくが編集者という仕事だったから、最初の先生Nさんから、「太極拳の本を作りたいから手伝ってくれない?」という依頼を受けた。共著で、実技は自分がやり、何がからだにいいのかについては、太極拳を患者に指導している医者がいるので、その人が……というので、会いに行ったのが川越の帯津先生だった。話を聞いて原稿にするのかと思ったら(だって、Nさんてば、自分じゃ一字一句書かず、その部分はほとんどぼくが書いたのだ)、200字詰めで200枚ほどの手書き原稿をいただき、内容の確かさに舌を巻いた記憶がある。
 
 いま、帯津先生とは、公私ともにいろいろお世話になっている。この5月にがんで死んだ後輩Kの最後も、川越の病院で面倒を見ていただいた。
 その帯津先生と、病院の食堂でビールなどをご馳走になりながら、「そういえば、このご縁は楊名時太極拳だったな」と思い、思ったらいろんなことを思い出した。
 
 ちょっとそのことを書いておきたかった。  


(08:02)

June 20, 2005

庭木の梅 明け方、何とか書き終えた原稿をメールに添付して依頼先に送り、バッタリと寝ているとドンドンという物音。わが家はインタフォンなどというものがないから、さては宅配便でも来たか、モノは何だろうと「ふわーい」と寝ぼけ声で返事しつつ玄関までよろよろ歩いてゆき、ドアを開けるが、誰もいない。
 ははぁ……
 
 このところ、夜中に起きていると突然の物音がする。ある時はドンであり、ある時はガンだ。ドスッという場合もある。
 梅の実が落ちたときの音です。ドンは屋根。ガンは庭にあるプレハブの物置の屋根。ドスッは庭土に直接落ちる音で、前述のドンドンは屋根に落ちて一度撥ねた音だったようだ。
 庭に面したガラス戸を開け、見上げると、おお実っているし、でかくなっている。はてさてどうしたものか。とりあえず、ロシアン・ウォッカのストリチナヤを2本ばかり買ってきて広口瓶に入れ、庭に落ちた梅のうち綺麗なものを拾い上げ、洗ってはそこに放り込む、ということを始めたのだけれども……。
 
 借家の庭に梅木があり。こいつが季節になると実をつける。といっても毎年のことではなく、その年に立派なやつを大量につけたと思うと、翌年は指の先ほどの大きさで終わりということもあって、人に聞くとそういうものであるらしいが、いまだによくわからない。
 引っ越してきた時期は秋だったが、もとより無粋だから庭木なんぞには関心がなく、それが梅であることを知ったのは翌年の春、花が咲いたからだった。しかも、実をつけた。もったいないので梅酒をつくった。それでも剰ったので梅干しを仕込んだ。そうしたら梅酒はもとより(簡単だものね)、梅干しがことのほかうまくでき、これがうれしかった。
 
 日本人だもの、梅干しは必需品である。しかし市販品には不満が多い。安いやつは梅干しでも何でもなく、酢と化学調味料をまぶしたまがい物であり、ちゃんとしたものを購おうとすればやたらと高い。高いばかりか、減塩作業(流水でもって塩分を流す)してさらに調味したものもあって、油断ができない。
 塩だけで漬けた本来の梅干しを求めようと思えば、自分で漬けるのが安上がりだし一番だ……というので、配偶者がいた頃に二度ほど市販の梅を購って自家製梅干しにチャレンジしたことがあったけれども、ここでは庭木に実がなるのだ。これを梅干しにせずに何とする――と誰でも思うんじゃない?
 
 ……なんて話をすると、「梅干しを自分でつくるなんてマメだねえ」と言われる。「作業が大変でしょう?」とも言われるが、そんなことはない。
 問1に答えると、理由の一番は前述のごとく市販品はまがい物が多いのと高いことだが、梅の実というのはいつもあるものではなく、1年のうちのほんのいっとき、この時期にしかないという理由もある。
 独り暮らしで、フリーという時間に縛られない仕事をしていると、もともと不精というタチも手伝って、時間やら季節感といったものとかなり無縁な生活になってしまう。今年だって、ふと気づけば1年が半分近くも過ぎていて、またあっという間に年の瀬ということになるんだろう。そんなメリハリのない暮らしだからこそ、不精ながらもやっていることがひとつだけあって、それは正月の設えだ。といっても大層なことをやっているわけではなく、普段はほとんどやらない家の掃除を2日ほどかけてやり、それから屠蘇を用意し、雑煮の出汁を取り餅を購い、数の子その他正月らしい祝肴を少しばかり買い求める……という程度なのだが、それでもちっとは気分が新たになる。
 
 そこに加わったのが梅干しづくりで、3年4年と続けていれば、これも自分の決まり事のひとつになっていく。というより、庭木の梅の実がぼくを急かすのだ。
「ねえ、今年はやらないの? 梅干しにはしないの?」
 ドン、ガン、ドスッの音がそう聞こえてくる。不精のぼくにプレッシャーをかけてくる。ここ2年ほどは梅干しづくりはやらなかった。それは実のつき方がいまいちだったからだが、今年はそうではないから、いまそのプレッシャーを多いに感じているところだ。
 
 問2に答えると、梅干しづくりは大変ではない。ぼくの場合はこうだ。

1.(購うなどして)梅の実を用意する。
2.その実を一晩水に漬ける(アク抜きなどの意味があるらしい)。
3.少量の焼酎(飲み残しでけっこう)と、できるだけ天然に近い塩を用意する。
4.水気を切った梅の実を一粒一粒焼酎で洗い(カビないようにするためだというが)、それからその一粒一粒に塩をまぶして容器に詰めていく。
梅対塩の割合は5対1が適当とされている。つまり梅が2キロなら塩400グラムということになるが、そこは目分量だ。そして一粒一粒塩をまぶして容器に入れたあと、残りの塩を蓋のように振りかける。
5.その上をラップで覆い、落とし蓋をして重しを乗せる。この重しは何でもいい。ぼくの場合は以前仕事がらみで買ったダンベルのウエイト部分2キロを、水が入らないようにフリーザーパックに入れて使っている。

 ――基本的にはそれだけだ。
 やがて梅の実は、塩との浸透圧の関係で水分を出し始める。これが梅酢で、利用方法はさまざまある。赤く色づけたい人は、同じくこの時期にしか出ない赤紫蘇を買って、塩揉みしてアクを除いたのち、一緒に漬け込む(最近はアク抜き・塩揉みしたものをパックして売っていたりする)。
 そうこうしているうちに梅雨が明け、夏がくる。その7月の土用の頃に容器から取り出して干す。ぼくの場合は3枚セットでン百円だったと思うが、丸形のザルに並べて陽光に晒す。
 こまめにやろうと思えば、昼間陽を当てた梅干しは、毎晩漬け汁に戻すのがよいといわれるけれども、そういうところが「面倒だ」と思われる所以だろうね。ぼくなんかそんなことはしない。ザルの上からラップをかけて雨露をしのぎながら(水分はザルの下方から蒸発するだろう)3日3晩放置する。そして、再び梅酢に戻す――。
 
  ね、簡単でしょう?
 ただし、問題は「うまく漬かるか」というと、なかなかそうはいかないことだ。
 ぼくの場合、おおむね皮が固くて、塩っぱいだけで終わることが多い(実の熟し方の問題なのか重しの具合なのか、いまだによくわからない。誰か教えてください)。言ってしまえば失敗作なのだが、なに、自分がつくったと思えば失敗作といえども可愛いではないか。
 では、その失敗作をどうするか。種を取り、叩いて梅干しペーストにし、カツオ節などと混ぜ込んでもよし、そいつを湯飲みに入れ、醤油をちょいと垂らして番茶を注げは「梅醤番茶」となる。それも面倒ならば、焼酎の湯割りに放り込んで処理をするという方法もあって、“腐っても鯛”ならぬ“失敗しても梅干し”なのだ。
 ……というわけで、毎日梅木を見上げている今日この頃のぼくです。
 


(04:00)

April 09, 2005

 
f5cb223c.jpg いきなり咲き誇って、天気予報では「明後日からは雨ですから、満開が楽しめるのは明日だけでしょう」だそうだ。
 もちろん桜の話だが、おいおい、それじゃ花見の相談すらできゃしないじゃないの。
 
 花なんてもなぁ、通りすがりに芽がいまにも咲かんとばかりに脹らんでいるのを見つけ、それがいつ頃咲くのかを楽しみにし、だったら花見はいつやるのがベターか、友人・知人に声をかけるなどの仕掛けはいつから始めようか、今年はどんな酒肴を凝らそうか……などの思案をめぐらせたりするのが楽しいのだ。
 だから花見といっても、たとえば会社の誰かが「今夜、花見をやるぞー!」と突然言い出し、若いのを酒屋に走らせて用意した缶ビールとツマミ(だいたい若いのはキャリアがなく、したがって気が利かないから、カキのタネとかポテチとか、よくてイカクンなどのカワキモノばかりになってしまったりするのだ、これが)でもって、千鳥ヶ淵あたりの人通りの多いところに腰を下ろしてやるようなのは、基本的にごめんである。
 せめて1人1個あての幕の内弁当ぐらい買ってこいよー。
 
 今年の桜はせわしないし、風情のないことはなはだしい。だから、ドワッと咲き誇っていても、ちっとも愛でたいと思わない、というか思わせる儚さがない。
 
 とはいえ、ここ何年かの花見のパターンはこうだった。
 そろそろかと思うと、同じメディアで仕事をしていた年下の友人K(これがまた酒を飲むのが好きなのだ)に声をかけ、あと一人か二人女友達なんぞを呼び出して――男2人じゃ殺風景だもの――夕方、JR市ヶ谷駅前で待ち合わせる。その際、酒肴は用意しない。飲みたい者がいれば自分で缶ビールなり、缶チューハイなり好きなものを購入する。ぼくの場合は、スキットルにバーボンを移して持参する。飲みたければ飲むし、そうでなければそのままバッグの中だ。
 そうして、市ヶ谷土手の桜並木を見ながら、ゆっくり歩く。並木に沿うようにして、花の下ではすでに列をなして酒宴が始まっている。まだ時間が早いというのに、もう首のネクタイを外し、鉢巻き代わりに頭に巻いているような気乗り十分のサラリーマンも少なくない。そうした輩も花見のオカズであるから、「おうおう、楽しんでますねえ」というような視線を投げかけながら、花見を楽しむ。
 やがて、土手のひとつの区切りまでくると、そこは飯田橋駅の新宿寄り出口だ。つまり、総武線ひと駅分を歩いたことになるわけだが、そこで土手を降り――つまり花見もここまで――左折して牛込橋を渡り、外堀通りを越えると神楽坂ののぼり口に至る。
 そこから神楽坂界隈で適当な店を見つけて入り、酒肴を頼んで、酒と談笑を楽しむ――というものだ。
 
 ところが今年はKがいない。
 昨夏、体調が悪いと病院で検査したら(と、ここまでも長いいきさつがあるのだけれど)がんが見つかり、その段階で4期と診断されたものの、手術や免疫療法を経たのちに、以来ずっと“病院”という場所からは一度も出られないまま――転院は2度して現在は埼玉・川越の帯津先生の病院にお世話になっているが――いまも踏ん張って闘病中だからだ。
 Kもいない。花も風情がない。
 こんな年に花見をやる意味はない。


(22:47)

April 06, 2005

 いまいる町に住み始めて、10年を超えてしまった。

 いまの住処を決めた理由は、あまり多くない。一軒家で庭で犬が飼えること、周囲に緑が多いことぐらいだった。3年半ほど前までは犬が2匹おり、犬小屋2つを置くだけのスペースが必要だったことと、ほぼ日課の犬の散歩に、やはり緑が多い風景のほうがこちらとしても気分がいいからだ(それ以前にいたところはもともと埋め立て地で、公園か申し訳程度の街路樹ぐらいしか樹木はなかった)。散歩については、犬の足で10分ほどのところに多摩湖自転車道というのがあり、桜並木になっていて、ちょうどこれからの短い時期、咲き始めから満開、そして散りゆくまでの桜花が目を楽しませてくれる。
 あと、付け加えるとしたら都心までそれほど遠くないということぐらいだろうか。最寄り駅から新宿まで、急行なら20分余でたどり着く。

 それ以外は特筆するようなことのない町で、この10年の変化といえば、駅舎が新しくなったこと、3軒あったレンタルビデオショップが全滅したこと(おかげで新宿TSUTAYAまで借りに行かねばならぬ)、そして飼っていた犬の1匹が13歳半で死んだこと……ぐらいか。何と残った犬は死んだ犬と同年齢なので、今年17歳になる。呆けてきて、夜、鳴き声を上げる。昔、子犬のときにクルマに轢かれたときの後遺症がいまになって出てきたのか、右の後ろ足が悪くなって踏ん張りがきかず、トボトボとしか歩けなくなってしまった。
 そして、犬が老いた分、ワタシも老いる。


 ……いや、そんなしんみりした話を書くつもりじゃなかった。
 この4月、ひとつの変化があった、という話だ。
 それは新しいスーパーの進出で、これまで駅前のスーパーといえば、商店街のある北口に沿線の鉄道と関係のあるSと、ほとんど何もない南口に食品スーパーPがあるだけだったところに、“駅前再開発”ということで、Sが君臨していた北口の高校移転跡地に新たにIというスーパーが進出してきたのです。
 何にせよ、競合相手が出てきたということは、住民としてはありがたいことだと、その新しいスーパーを覗いたら――既存店舗ではやっているのかもしれないが――ちょっとユニークなサービスをやっていた。逆浸透膜で濾過したピュア・ウォーターを無料提供するというんです。
 そのサービスを利用するには登録が必要だというから、もちろんすぐにぼくも登録しました。まず入会申込書に住所・氏名・電話番号を書いて渡すと、水利用のためだけのプラスティックの会員タダでもらえる水証と、専用ボトルをくれる、というか売ってくれる。1個4リットル入りで504円のところをいまなら半額だ。
 それを持って店舗の一角に置いてある給水器コーナーに行き、まず会員証を機械に通す。すると給水が受けられる部分の扉が開くから、そこにボトルを置いてボタンを押すと、ボトルいっぱいのピュア・ウォーターが注がれる――というもの。

 この水について、説明書にはこうある。
「……水中の不純物をほぼ完全な形で取り除いて出来るお水です。逆浸透膜は、身体に有害な物質は除去しますが、水を円やかにする炭酸ガスや酸素は残るため、身体に大変優しいのが特徴です。お茶、コーヒー、水割り、炊飯、赤ちゃんミルク、氷、ミストウォーターと用途は多彩です」

 これは顧客サービスおよびリピーターの獲得として、かなりのグッドアイデアではないかと思うね。生活用水のうち、飲用分についてはミネラルウォーターを金を出して買っている人も少なくないでしょう? ぼくの場合は蛇口取り付け型の浄水器+備長炭でまかなってきていたのだけれども、ミネラルウォーターではないにせよ(ピュア・ウォーターということは、ミネラル分もほとんど除去してしまう)、良質な水がタダで手に入るのだから。

 というわけで、その4リットルの水をありがたくいただいて帰ったわけだが、帰りつつ、ふと心配にもなった。水4リットルといえば4キロでかなり重い。そのスーパーは駅の真ん前だから、客の大半は徒歩か自転車だ。水をもらうのにスーパーに来るのはよいけれど、4キロの水を手にしたら、重くて買い物はそこそこにすますのではないかしら。
 いや、実際、その日ぼくもいくつか買い物の予定があったけれども、テレコや資料やら仕事道具を入れたリュックを背負っていたせいもあって、水の重さに何も買わずに帰ってきたからで……そのあたり、I社の社内評価はどうなっておるのか、気になっている。



(03:47)