おんじき日常

February 15, 2007

香港土産でもらった茶壺

 

 

 

 

「中国茶」の世界に少しだけ関心を持ったのは、2度目の香港行のときで、もう14、5年前のことになろうか。もちろんまだ中国返還前の時だ。
 香港行の初回はそれよりさらに7、8年前のことだが、そのときは何せ初めての場所だからして、タイガーバームガーデンだの、ビクトリアピークだの、とにかく観光に忙しかった。そんなところは1度行けば十分なので、2度目のときにはいくつか目的を立てた。そのひとつが、香港島サイドにある飲茶の老舗だという「陸羽茶館」に行くことだった。ちなみに、店名に使われている「陸羽」とは世界で初めて茶についての『茶経』という書物を著した人物で、“茶聖”などといわれる。
 何で「陸羽茶館」に行きたかったのかについては例によってよく憶えていないが、たぶん本場の飲茶を試してみたいという程度のことだったのだと思う。

 ホテルは九龍サイドにあったから、もう地下道が通っていたものの、同行者の女友達が香港は初めてだったのでスターフェリーで香港島に渡り、中環に着いてその茶館を探した。
 探し当てたその茶館は、入り口にターバンを巻いたインド人らしきドアマンが立っていて、午後の1時過ぎだったと思うが、そのドアマンに誘われて入ったら順番待ちの人があふれており、あたりは広東語が飛び交っていて、果たしてぼくの拙い英語(拙い以前。カタコト以下)が通じるかどうか、いきなり不安に陥った。ガイドブックによれば、「陸羽茶館」はジモティ御用達であって、外国人旅行者などには冷たいとあった。
 仕方がないので、ぼくたちも順番待ちをしていたら、誰かがぼくの背ををつつく。振り返ったら、たぶん客だろうが広東語で何か言い、ぼくらがたむろっていた1階入り口入ってすぐのスペースの右側にある階段を指さしている。何のこっちゃらわからないので首をひねると、今度はつつくのではなくぼくの背中を押すから、どうやらその階段を上れと言っているようだった。
 それで、1階で待つ人びとを尻目に2階へ上がったら(このあたりの事情はよくわからない)、ウェイトレスが白いテーブルクロスのかかった席へと案内してくれ、紙を置いて去っていった。その紙は注文票で、まず茶を選び、それから食べ物を選んで、そこにチェックを入れるようになっている。

 といっても、当たり前だが注文票は漢字ばかりで、どんな茶や食べ物なのかほとんどわからない。そこで茶は、香港だもの普耶茶(プーアール茶。これは字を知っていた)にチェックを入れ、食べ物については字面から適当に判断しつつ、3つ4つオーダーした。何を注文し、何が出てきたかについての記憶はほとんどないが、ただひとつだけ、揚げワンタンに甘酢がかかったようなものが出てきて、「何だこれは?」と思いつつ口にしてみたら悪くなかった、そのことだけは憶えている。

 そこで知ったこと。
 日本で「中国」の「飲茶」といえば、お茶を飲みながら点心類を食べることで、ウエイトは“点心類を食べる”にある。そのときのぼくたちの目的も、そこにあった。しかし、「陸羽茶館」でまわりを見ていると、香港人たちの卓の点心はほんの一つか二つ、あとはひたすら茶を飲みながらお喋りに興じている。
 これで知ったことは、飲茶とは点心を食うことにあるのではなく、お茶を飲みながら過ごす「時間」のことである、ということだった(時分だから昼めしを食べにきたらしいネクタイ族ももちろんいたけれど)。

 普耶茶は何煎も飲める。というか、煎を重ねるごとに濃くなっていくような気がする。なくなったら茶壺(日本でいう急須)の蓋をズラしておけば、ポットを抱えて客席を回っているウェイトレスが熱い湯を注いでいってくれる。そうたしら、「ありがとう」替わりに、卓を指でトントンと2度叩けばいい。
 だから、けっこう時間が過ごすことができる。ただし、静かではない。とにかく香港人は声が大きい。3つばかり向こうの卓の連中の声がびんびん聞こえる。だから、茶館の中は喋り声が渦を巻いている。そうした喧噪の中で過ごすのが香港の飲茶なのであろう、と思ったことだった。

 冒頭の写真は、その女友達が再度香港に行った時のお土産でくれた茶壺だ。蓋の上に居座っているのは最初猫かと思ったら、蓋をひっくり返すと裏に龍がいて、それだ虎だとわかった。
の茶壺の蓋の裏

 茶葉を入れ、熱湯を注いで蓋をすれば、この龍の口から虎の口を通って細い湯気が立ちのぼる。
 とはいえ、たいしたものではないはずだ。だって、ぼくへの土産ということはもちろん、虎の造形なんかてんでいい加減だもの。
 



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