January 29, 2007
何の変哲もない、木のめし椀である。
どこで購ったか、いかほどしたか、もう憶えていないが、ナニ、ぼくが買ったものだもの、いかほどもしないはずだ。
ただ、なにゆえに買い求めたか、ということだけは憶えている。
どれぐらい前のことになるのだろうか。
ベトナム生まれの禅僧で、フランスを拠点にして平和運動へ献身していることで、ダライ・ラマ14世と並ぶ世界的に著名なティク・ナット・ハン師が来日、一日鎌倉でウォーキング・メディテーション―歩く瞑想―のワークショップを開かれるから行かないか、と誰かに誘われた(あ、彼だろうなーというような心当たりがないわけでもないが、この記憶の薄れ具合ははどうよ)。
少しく気持ちが荒んでいた頃でもあったので、行ってみようかなーと思い、参加を申し込んで会費を振り込んだ。これも同様に、いくらだったか憶えていない。
その時に、“昼食は会費のうちで、粥が供されるが、器と箸は自前でね”という参加条件があったから、やっぱりここは木製の椀かな、持参するにも軽いし――とわざわざ買ったのだった。
その日の師のワークショップは、というと……荒んだ心が前夜ワタクシに少なくない酒を飲ませ、おかげで寝過ごして――何せ鎌倉だもの――結局行けなかった(笑ってやってください)。
したがって、この椀にはその会費分も含まれているので、お安くはない。もちろん行けなかったワタクシが悪いのであるけれど(泣)。
だからというわけでもないが、この椀はときおり粥を炊いて食する時などに使っている。同じめし(コメ)でも、そういうやさしい食べ方をするのに向いているような気がする。
そして、青菜の漬け物や梅干し、塩昆布などを菜に粥を噛みしめるたびに、あの日寝過ごした自分を悲しく思うのだ。
もうひとつは普段使いのめし碗だ。たしか池袋西武百貨店で開かれていた陶芸家の展示即売で買った。絵柄かなくシンプルで、ツルりではなく少しくボツボツしている手ざわりもよくて、つい買った。3000円ぐらいだったように記憶している。このめし碗では、炊きたてのめしに納豆をぶっかけて掻き込んだりしている。
これら以前に、どんなめし椀(碗)で食べていたのか……これも、実はさっぱり記憶がないんだよねー。