June 06, 2006

クマの子モン “靴下”を穿いているところは母犬そっくりだ。

 

 

 

 

 

クマの子どもモン。“靴下”を穿いているところなどはそっくりだ。

 T・Sエリオットの詩の一節に、
 The Naming of Cats is a difficult matter,
 というのがあるそうな。
“あるそうな”というのは人から教えてもらったからで、誰かというとイタミ先生である。それがいつのことだったかちょっと調べてみたら、何とぼくがハタチのときのことで、われながらよく記憶に残っていることだと感心してしまう。

 で、そのイタミ先生は続けてこうおっしゃっている。
伊丹十三『ふたたび女たちよ!』《……いかにも、たしかに猫に名前をつけることは大変に難しい。ただし、世の中には、この難しさを、知っている人と知らない人と二種類あるらしく、知らないほうの人人は、ただただ可愛らしく、甘ったるい名前をつけて能事足れりとなしているように見うけられる。つまり……女学生時代から一向に知能の成熟しない女(そうでない女がいるかどうかということは、この際ぜんぜん別問題として)そういう女に名付けられたとしか思えない名前の一群である。
 …大切なのはプリンシプルを持つことでしょう。…私の例でいうなら、私は自分の猫に日本語の名前しかつけない。なぜなら、私の猫は、当然名字が伊丹になるわけでしょう。西洋の名前をつけて、例えばジャッキー伊丹というようなことになると、これはどう考えてもバンド・マスターの名前であって、猫の名前ではなくなってしまう。》(伊丹十三『再び女たちよ』

 イタミ先生には、10代の終わりから20代の始めにかけて、実にいろいろなことを教えてもらった(もちろん著書からね)のだが、そのことはまた別の機会にゆずって、ぼくの場合は「犬の名前」だ。いや、別にエリオットのごとく「犬の名前は難しい」と思ったことはないけれど、命名のときにはたぶんイタミ先生の先の一文が意識のどこかにあったことはたしかだと思う。

 前にも書いたが、わが家には2匹の犬がいて、5年近く前に14歳半で死んだのが「タツ」、同い年でいまもボケながらしぶとく生き残っているのが「クマ」。どちらも♀犬で、その命名はというと、「タツ」は辰年生まれだったから、「クマ」は子犬のときに見た目が子グマみたいだったから……という簡単な理由からだ。しかし、われながらいい名前だと思う。というのも、イタミ先生が言うように、名字がぼくと同じならば、「○○タツ」「○○クマ」であるわけで、いまはともかく戦前だったらいそうな名前じゃないの。タツばあさんとか、おクマさんとかさ。そういえば「おとらさん」というマンガがあって、そのおとらばあさんを柳家金語楼がやった映画を観た記憶があるな……。

 タツは生まれてほったらかしにされていたのをもらってきたので、うちにきたときは無名だった。ところが、クマはもらいに行ったとき、すでに飼い主によって「モン」という名前がつけられていた。全体的には黒い毛に覆われているけれども、背中の首のつけ根あたり、首輪をすればそのすぐ下あたりにひとつまみほどの白い毛が生えていて、それが紋付きの背の紋章みたいだから、というのが命名の理由だということだった。
 だから、「モン」でもよかったのだが、わが家にきたらやっぱりこっちでつけたいと思うじゃないの。それで「クマ」と勝手に改名したのだが、因果はめぐるというか……。

 タツとクマがわが家族となって3年ほど経って、千葉は東西線沿線のある町へ引っ越した。引っ越した翌年の夏はひどくクソ暑かったのだが、クマだけは痩せもせず、というより、なぜかコロコロ肥っている……と思っていたら、ある朝、犬小屋を覗いて引っ繰り返った。子犬が生まれているじゃないの。一軒家ではなく、門などない住宅だったということもあるけれども、このあたりの犬を飼っている連中の文化程度が低く、夜、犬を放し飼いにしているバカどもがいるのだ。そうしたバカどもに飼われて放された、去勢もされていない犬(こっちも不妊手術をしていなかったからおあいこだと言われればそれまでだが、放し飼いにしているという点で、絶対に敵が悪いと思う)が、ぼくがいない間に落花狼藉におよび、子ができてしまったのだ。「妊娠に気がつかないなんて…」と人から笑われたが、犬をちゃんと飼うのはほとんど初めてに等しいから、わかんないよ、そんなこと。

 それで、その後、タツ・クマともに不妊手術を受けさせたのだけれども(その手術・入院のせいで2匹ともすっかり病院嫌いになってしまった)、それはともかく、クマが生んだのは2匹で、うち1匹は死産だった。生き残ったのは♂犬だったが、不思議なことに、父犬がどんなバカかは知らないが、この子犬もクマと同じくほとんど黒で、しかも同じように、背中に「紋」を背負っている。そこで、この子にはいわばクマの幼名である「モン」という名前をつけた。
 
 この子は元気がよかった。タツとクマと、そしてモンを散歩に連れて行くと、モンはクマにもタツにもじゃれかかる。クマは親だから(生んだらいきなり母になり、母の行動をとるという動物の習性も初めて体験した)相手をするけれども、タツ“おばさん”はある日いきなり現れた存在に、「こいつはいったい何なのよ」というとまどいを隠せない。だから、モンが近寄ってくると、脅えて吠える。すると、モンはそれに負けずに吠え返す――となかなか面白かったのだけれども、面白がってばかりはいられない。
 2匹飼っているだけでも大変なのだもの。この子犬をどうするか……。

 母犬自体が素性の知れない雑種であり、しかも父犬がどこのバカ犬だかわからない、そんな不憫な子犬をもらってくれようなんて慈悲深い人は、そうそういない。当時仕事をしていた会社の掲示板に、目一杯可愛く撮ったポラロイド写真を掲示してもらい手を募集したけれども、同僚は「可愛いね」というだけで、ちっともいい返事がない。えーっ? おれ、3匹も飼わなければいけないの? と、ほぼ観念しかかったとき、写真を見て、「可愛いですね。姉に聞いてみてもいいですよ」と言ってくれた人が1人だけいた。
 日本を代表する――と言っていいと思うが、バーテンダーの毛利隆雄さんだった。いまは銀座・電通通りで『毛利バー』を開いているが、当時はぼくが仕事をしていたオフィスが入っていた霞ヶ関ビルの、すぐ裏手のビルの地階にある『ガスライト』というバーのチーフで、その頃、酒の雑誌の仕事もしていたぼくは、カクテルのことのほとんどは、この毛利さんから教えていただいたといってもいい(最近は金がないから、なかなか毛利バーへは行けないのだけれども)。

 毛利さんのお姉さんは犬が好きで何匹が飼っているから、ということだったが、ありがたいことにもらってもらえることになり、毛利さんはぼくと同じ沿線に住んでいたので、電車で連れて行って渡すことにした。
 その日は、女友達がきてくれ、モンの体を洗ったあと、彼女が母犬のクマを散歩につれてゆき、その間にぼくがモンを持っていくという段取りにした。犬用のバスケットなど持っていないから、大きめのバッグにバスタオルを敷き、モンを入れ、首だけは出るように少しファスナーに隙間をつくって東西線に乗り込んだ。
 すると、ふだんは元気よく、うるさいほどのモンが吠えもせず鳴き声も上げず、温和しい。ファスナーの隙間から顔を出し、ぼくをじっと見つめたりしている。まるで、「これからぼくは、どこかにもらわれていくんですね」とわかっているような顔をして。だから、3つ4つ東京よりの駅で降り、バッグごと毛利さんに渡したときには、胸がいっぱいになってしまった。
 クマはといえば、散歩から帰ってきて、わが子がいないものだから、犬小屋のまわりを探し回り、三晩ほど悲しい鳴き声を上げていた。

 それからしばらくして、『ガスライト』に飲みに行った。毛利さんの手が空いた頃を見計らい、「犬はどうですか?」と聞くと、
「元気らしいですよ。外に繋いでいるのに、気がつくと家の中に上がってきているそうで」 と毛利さんは笑った。モンらしいと思った。うちでもそうだったのだ。
「何と呼ばれているんですか?」
 モンという名前の意味は、渡すとき伝えてあった。
「それが、姉の子どもが、こんど犬を飼うなら絶対こういう名前で、というのがあったのだそうで…」
“因果はめぐる”というのは、そういうことで、ぼくだってモンをクマに変えたのだもの。その子のモンが名前を変えられることは仕方がないじゃない。しかも、“絶対にこういう名前で”というのなら、きっとモン以上の名前に違いない。
「……ヨタローというんです」

 そのモン改めヨタローは――もちろんそれからずっと後に聞いたことだけれど――毛利さんによれば、3年ぐらいで死んだらしい。



(05:29)

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この記事へのコメント

1. Posted by Claire   September 22, 2013 17:50
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