May 05, 2006

Kの病室の窓から見えた風景

 

 

 

 

 

Kの病室の窓から見えた風景(2つ目の多摩の病院)

 5月。
 5月を、「忘れないで 時は流れすぎても」とハスキーな声で最初に歌ったのはブレンダ・リー(『想い出のバラ』)だったが、忘れようがない。まだ1年なのだから。

 同業の後輩として紹介されたのが最初で、ここ10年近くは一緒に仕事をすることも多く、しかもお互い酒飲みであったから、ゆえに一緒に酒を飲むことの最も多かったKが、10カ月余の闘病に力尽き、がんで逝ったのが昨年5月で、あと5日ばかりで世間の習俗でいえば1周忌がやってくる。
 上記の諸条件に加え、Kもまたぼくと同じく離婚者で、元妻・子供たちとは居を別にし独り暮らしだったことと、この病の治療についてはぼくの仕事の領域の中で多少心当たりがあったことなどから、「調子が悪い」という最初の症状の相談から最後を迎えた病院の紹介と手配、そしてその死まで付き合った。

 といっても、病院の紹介等のほかは、月に2、3度見舞いに行き、ほんの短い時間、他愛もない世間話をして帰ってくるだけだったから、お世辞にも“面倒を見た”などと言えるものではない。では、誰が日々の面倒を見ていたかというとKの兄で、この兄貴もまたぼくやKと同様、独り者でフリーの編集者だったから、できる限り弟に付き添い、世話をし、合間を見て仕事をこなし、そして最後をベッド脇で看取ったのだった。
 ぼくはと言えば、この兄貴とはKが最初の病院に入院した時に初めて知り合ったのだが、そのあとはメールや電話で様子や症状の変化を聞いたりしていたに過ぎない。

 それにしても、弟とはいえ男手で1年近く病人の世話をするというのは並大抵のことではなかったと思う。しかも、Kは最初に見つかった脳の腫瘍の手術の影響で身動きに不都合が生じ、以降死を迎えるまで、ベッドか車椅子だったのだから。

 通夜・告別式は、“たぶん弟は嫌がるだろう”と坊主は呼ばず、だからお経もなかった。集まったほとんどは友人と仕事仲間だった。
 兄貴は、K――生まれは大阪――が奈良が好きだったから、このあとは奈良を訪ねて、弟が好きだと言った場所に遺灰の一部をこっそり撒いてくるつもりだと言い、その報告は、1カ月半ほど経った頃に、ぼくが知っている範囲の友人たちに声をかけて、ぼくとKがよく酒を飲んだ新宿の酒場であらためて“偲ぶ会”的な集まりを開いたとき(最近の斎場での通夜は時間が短いし、忙しないから)に、彼から聞いた。
 だから、例えば唐招提寺の敷地のどこかには、Kの遺灰が何食わぬ顔をして土に混じって在るはずだ。

 その後はとくに兄貴とコンタクトすることはなかった。「くたびれたので、北海道の友人ところへ行って、友人がやっているNPOの手伝いをしながら、しばらく心身を休めます」というような連絡をもらったきりになっていた。

 そして、時がひとめぐりしての5月。
 Kの兄はどうしているのだろう……と思っていたときに、彼から以下のようなメールが届いた。発信場所はマレーシアのペナンらしい。何でそんなところにいるのか……。


《 ご無沙汰しております。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 早いもので、あれから1年が巡ってこようとしています。昨年秋には、納骨も済ませました。本来なら、仏壇の前で1周忌を行う筈ですが、思うところがあって、先月の初めに私は日本を発ちました。

 一昨年6月の緊急入院から最後の日まで、1日も病院を離れることのなかったKは、かつて訪れた国内外の思い出を、ベッドの上で繰り返し懐かしそうに語っておりました。中でも、20代後半に廻ったタイ〜マレーシアの印象はことさら強烈だったようで、その時の話になると、「チェンマイの落日は凄かった」「ロティ・チャナイ、旨かったなァ」などと楽しそうでした。その彼のために、手許に少しばかり残っていた遺灰を、それぞれの土地に撒いてやろう、と考えて出た次第です。
 先月には、タイのチェンマイを流れるピン川の川面に、そしてここペナンでは、今朝、ジョージタウンのビーチに散骨してきました。花も酒も無い、シンプルなセレモニーでした。朝日が実に爽やかで、仕事柄、夜型人間だった彼には、多少、眩しかったかも知れません。

 この後、クアラルンプール経由で東海岸を廻り、6月始めにはバンコクから帰国の予定です。 》


 葬儀の後には、Kが好きだった奈良を回って遺灰を撒き、1年後のこんどは同じくKにゆかりのアジアのあちこちで遺灰を撒いている。
 この行為を言葉にすれば「供養」ということになるだろう。
「供養」とは、逝ってしまった者の死を悼み、そのたましいに「安らかにあれ」と鎮める儀式である。
 しかし、このメールをもらって思った。
 それはひとり死者のためだけでなく、生き残り見送った者にとっても、その死を受容し、悲しむ己のたましいを鎮めるための儀式なのかもしれない、と。

 その意味で、このメールをここに載せたことを、Kの兄には許してもらいたい。
 この一文もまた、ぼくの、Kの1周忌の「供養」ということで……。



(22:09)

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この記事へのコメント

1. Posted by Aria   July 28, 2013 01:19
You have mentioned very interesting points! ps nice site.

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