March 20, 2006

左:タツ 右:クマ

 

 

 

 

 

 わが家には1匹の老犬がいる。名をクマという。
 貰ってきたとき小グマのような風貌であったから名付けた雑種の牝だ。
 今年は戌年だから、メールでの新年の挨拶文に犬の写真を貼付し、「この春で18歳になります」と書いた。長生きはめでたいことだものね。
 ところがとんでもない間違いをしていたことが、つい最近わかった。

 ずっと平成元年(昭和64年、1989)の生まれだと思い、いま住んでいる町の保健所にもそう届けてあるのだが、実は63年の生まれだったのだ。何でそんな間違いをしていたか。ひとつは、たぶん犬の生年などどうでもいいことだと思っていたことだろう。もうひとつは、それがいつだか知らないが生年を平成元年と思いこんで、「犬の年齢は平成の年数と同じだから、勘定するのが楽」というようなことでやってきたためだろう。いい加減な飼い主です。

 なぜこの間違いに気づいたかというと、4年半ほど前までもう1匹犬がいて、名前をタツといった。これも牝だったが、その命名の理由は生まれてわが家にやってきた年が辰年だったからだ。クマはタツがやってきた3カ月後ぐらいに貰われてきた(タツといいクマといい命名もいい加減である)。
 で、何からの連想なのか憶えていないが、ふと「本当に平成元年は辰年だったか?」という微かな疑問が頭をよぎり、こんな微かな疑問は思いついたときに解決しなければ、最近はぼくも年のせいか「何を疑問に思ったんだっけ?」とすぐに忘れてしまうから、インターネットでちょっと調べたら平成元年は巳年だったのだ。
 ということは、タツは13歳半で死んだのではなく、14歳半まで生きたのであり、いま庭の犬小屋にいて、もはや老いのせいで目もよく見えず、後ろ足が踏ん張りづらくなってヨタヨタとしか歩けず、ボケも入ってきているクマは今年19歳ということになる。われながら、よく19年も犬と暮らしてきたものだと思う。しかも、今日に至るその年月の大部分は独り暮らしなのだ。いつの正月だったか、こんな句を賀状に書いたことがあった。

「初春や 男一匹 犬2匹」

 その独り者が2匹も犬を飼っている(た)ものだから、「よほど犬が好きなんですね」とよく人から言われる。中には、ぼくのことを変わり者だと思っている人もいたかもしれない。たしかにぼくは犬好きだが、そう言う人にはこう答えてきた。
「離婚の置きみやげなんだよねえ」

 19年前、暮らしをともにしていた配偶者の勤めていたDCブランド系の雑貨メーカーが、倉庫で犬を飼っていた。散歩は社員の回り持ちで、ぼくも一度彼女のお供で付き合ったことがあるが、そいつがその年の春、寒くて雪が降った日に1匹だけ子犬を産んだ。それを彼女がぼくに相談もなく貰ってきたことがそもそもだった。
 そのとき住んでいたのが、N区の住宅密集地域にあったごくごく小さい2階建ての一軒家で、家のまわりはブロック塀で囲ってあり、アルミ製の門扉があって、玄関から門扉まで少しだけスペースがあった。
「ここに犬小屋を置けるよね」なんて話をしたかどうかももう憶えていないのだが、ある日2階でうたた寝していたら、鼻先がひやっとし、その感触で目覚めると、目の前に薄いベージュ色の毛で不機嫌そうな表情の子犬の顔があった。冷たい感触は、その子犬の鼻がぼくの鼻に押しつけられたからで、押しつけたのはもちろん配偶者で、これが「タツ」だ。
 その3カ月ほど後のこと、「同僚が会社の近くで子犬を見つけたんだけど、タツも1匹だけじゃ、私たちのいない昼間、さびしいと思うのよね」と、またしても配偶者が貰ってきたのが「クマ」だ。ちなみにタツは六本木生まれ、クマは西麻布生まれで、どちらも雑種のくせに生まれた場所だけはオシャレである。
 犬は好きだから、飼うことに反対ではなかった。1匹が2匹になっても、さほど変わらないと思っていた。当たり前だが、その段階で離婚は想定外だよね。ただ、犬の寿命は10年ぐらいだと聞いていたから、これから先の10年という時の長さを覚悟した。

 で、その後いろいろあって離縁するときに、彼女は「私はマンションに住むから、犬は飼えないのよ」と自分だけとっとと出ていったのだ。自分で貰ってきておきながら、勝手なやつである。だからといって、いったん飼ってしまったのだから、捨てるわけにはいかないじゃない。
 以来、半分意地のようにして飼い続けてきただけなのだけれども……。

 10年の覚悟が、まさか19年とはねえ。

※写真は元気な頃のタツとクマ



(00:03)

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