April 2010

April 28, 2010

 その日――4月16日金曜日の夜8時半頃。新宿厚生年金となりの小さなライブハウスのステージにぼくは呼び出されて立っていた。
 スタンディングで100人ぐらいは入るというその客席は、雨が降っているというのにほぼ満員。
 見渡すと多くはネクタイ族のオッサンだ。
 ぼくの紹介があると会場からウォーッという歓声が上がり、客席から握手の手が伸びてくる(オープニングから1時間半、客はすでに酔っている)。
 ぼくは短い挨拶をして、隣のギタリストに合図を送り、ある歌を歌い出した……。

 何でぼくがそんな場所にいて、歌を歌ったのか、話は長いのだけれど、かいつまんでいえばこういうことだった。
 ちょうど30年前に、ある歌を作った。当時、毎晩のように通っていた新宿ゴールデン街のある店の1周年記念として店のために作ったものだった。
 この歌は、客のカンパで私家版、いまでいうインディーズのEPレコードとなった。ぼくとしては自分で歌うつもりはなかったのだけれど(もっと太い声が似合うと思っていた)、結局ぼくが歌うことになった。いま聞くと、音程は不安定だし、声は出ていないし、我ながら忸怩たるものがある。ところが、そのことが朝日新聞に載った。客できた記者が東京版に何と五段抜きで書いたのだ。私家版に協力してくれたのはぼくの友人で、それを見て「これはメジャーから出せる」と動いてくれ、彼をディレクターとして吹き込み直し、いまはなきトリオレコードから出た(ちっとも売れなかったけれど)。

 そのレコードが出てから5年ほどもたった頃だっただろうか、ときどき顔を出していた同じゴールデン街の「K」のママ、Mちゃんがその歌を気に入り、余分があれば1枚ほしいといった。その店には昔懐かしジュークボックスがあり、そこに入れたいのだという。手元にまだ2〜3枚あったので1敗進呈した。
 これが20数年前の話だ。

 それから幾星霜、先月だったか先々月だったか、ある人に誘われて久しぶりにその店を訪れた。店の場所は変わったが、カウンターだけの狭い店だ。ジュークボックスは健在で、驚いたことにぼくのレコードはまだ入っていた。リクエストしたら、当時の若くて下手くそなぼくの歌が流れてきた。ところが、Mちゃんが、「この歌を作った人です」とぼくのことを紹介すると、10人ばかりいただろうか、客から歓声が上がったのだ。
 なんだ、なんなのだ、これは……。

 Mちゃんが歌が好きで、客を呼んでときどきライブをやっていることは聞いていたけれど、一度もいったことはない。ところがいまや、年に1回のライブハウスのほか、お店でも月に1回狭いカウンターにバンドを入れてやっいるのだという。そして、そのオープニングにぼくの作った歌を歌っているのだというのだ。つまりKの常連ならみんな知っていた。
 そして4月にはライブハウスでやるから、「ゲストで歌って」といわれたのだった。

 だから、その日ライブハウスに集まってきたのは、基本的にKの客だから、ほとんどがオッサンなのだった。
 もうすでにMちゃんがオープニングの3曲目ほどにぼくの歌を歌ってはいたのだけれど、1時間ほたってステージに呼び出され、紹介されると、あらためて歓声が沸いた。ぼくは直前にちょっとだけギタリストと打ち合わせをし、前奏はいらず歌から行くからと、短い挨拶のあと、キーであるGの音をもらっていきなり歌い出した。その歌をプロのミュージャンがしっかり支えてくれる。仲間内のカラオケなどでは感じられない、ライブの快感。そいつがケツの辺りから背骨を通って立ち上ってくる……。

 以降の歓声やサビの部分の客との大合唱、ステージを降りてから何本もの握手の手がのびできたことなどはどうでもいい。
 ただ、ぼくが作った歌が30年という時間を超え、いまだに愛して歌ってくれている人がいて、その店で“いま”の歌として愛唱している人がいたという事実にぼくは打たれた。
 こんな幸せな歌はあるのだろうか。
 そのことはまた、作った人間にとってもだ。

 ちなみにその歌は『酔いどれブギウギ』という。
 ありがとう。


(18:22)