February 2008

February 19, 2008

 いやあ、今回は本当に参った。
 1月31日から2週間余――ということは半月ほど、ほとんど死に体で使い物にならなかった。

 1年に1回、あるいは2年に1回ほどやってくる急な発熱だ。
 昨年や一昨年も来たはずだが記憶にあまりないのは、そんな酷くはなかったのだろうか。記憶にあるやつはブログに書いたので、いつだったか見返してみたら2006年1月2日付けで書いている。ということは、その前年、2005年の年末のことだ。
〈翌日(=2005年12月29日)目覚めたら、その途端、「あ、こらアカン」とわかるほど発熱していた。何しろ、寝床にいるのにいきなりからだにガタガタと震えがきたのだから。
 症状としては風邪である。熱がある。咳をすると気管支のあたりが痛い。しかし、風邪でないことはわかっている。年内、とりあえずやれることをやったということで気がゆるみ、そのゆるんだ隙を狙って何かがドッと押し寄せ、変調をもたらしたのだ。実はこんなことが2年に1度ぐらいある。あとで考えると、いつも何かしら一段落したようなときで、朝、いきなり、「あ、今日はダメ、もう」ということになってしまう。〉

 今回は、夕方ちょっとだけ炬燵でうたた寝して、夜の8時頃目覚めたら、「こらアカン」状態だった。症状は例によって風邪である。今回はインフルエンザを疑ってもみたのだが、下痢や吐き気はないし、ばかりか食欲がある。ふだんよりも食欲があって、目覚めるたびに空腹を感じる……というのも変調だと思うのだが、ともあれ重篤ではなかろうという判断をした。
 熱はどれぐらいあったのか、最初は測らないのでわからない。発熱しているのは確かだから、測っても仕方ないもの。だから、最初は水分などを補給しつつ、湯たんぽを抱いてただ寝ているだけだ。前にも書いたが、発熱は免疫が活性化している状態なので、死にそうなほどでなければ、まずは出るだけ出す、という方針だからだ。
 しかし、2005年のそれを読むと、その時の激戦は一夜であり、翌日が回復期で、翌々日の大晦日にはちょっとだけだが大掃除と正月の準備もしているのだけれど、なぜか今回は激戦にならず、最初ドンと来た後は小競り合いのようになって、あとは持久戦というのか、半月ほども引きずってしまったのが違うところだ。

 原因を振り返ると、『朝めしの品格』のラストスパートが年末ギリギリであり、年明けはすぐにゲラの直しに入るなど、ここ何カ月かずっと『朝めし…』から気が抜けなかったことだろう。もちろんその間にも別の仕事をしなければ生きてはいけない。それや何やがいったん途切れたのが1月末だったのだと思う。
 今回の特徴は、まず腰にきたことだった。発熱を感じてすぐだが、トイレに立った時に腰に違和感があった。というより、ちょっと屈んだりすると左腰に「ウッ」と呻いてしばらく動けないほどの痛みが出るのだ。発熱とこの腰痛の関係がよくわからない。知っている人は教えてください。ともあれ、この腰痛が消えるまでに四日ほど要した。

 それ以上に悩まされたのは、変な頭痛だ。
 2005年にも多少それはあって、こんなふうに書いている。
〈頭のあちこちに頭痛というほどではないが、微妙な違和感――後頭部のあたりがジーンとするとか、血流が悪くなっているような部分を感じるとか、額の生え際のあちこちを押すと痛感があるところがあるとか――がある。〉
 しかし、こんな軽い状況ではない。頭が痛いというより、首から上のいろんな部分が何も考えられないほど痛いのだ。たとえば、顔のあちこちを触ると右目と鼻の付け根の部分が猛烈に痛かったりする。それで額やこめかみ、右目と鼻の付け根などにサロンパスを貼るなどしたのだが、たいした効果はなかった。
 この痛みは何なのか、ネットで調べてみたら「片頭痛」というものらしかった。つまり、ぼくは片頭痛なるものをあまり体感したことがなく、今回初めてと言っていい。しかもこいつは熱が少し下がっても、変な腰痛が消えても居残っているのだ。2週間ほど死に体だったのは、おおむねこいつのせいだった。
 常備しているのは「バファリン」(主成分はアスピリン)で、解熱剤として使うことはないけれども、鎮痛薬としては一番合っているということからだが、こいつがあまり効かない。頭痛に……という葛根湯も効かない。一方、やらなければいけないまとまった仕事があって、デッドエンドにさしかかっている。
 しかも、下がったかなと思って熱を測ると、36度の高い方から37度の高い方を行き来するばかり。ぼくは平熱が35度の高い方なので、この程度であっても頭はボーッとしている。そこへ持ってきて、片頭痛だ。片頭痛も眠っている間は何ともないのだが、目覚めてしばらくすると、ジワーッと始まるので手に負えない。

 ……てなことが2週間余も続いて、この間2度ほど打ち合わせや取材があって余儀なく外出したのだが、パソコンに向かって原稿を書いたりする力がなく、多大な迷惑をかけたところも出てしまった。心からすまないと思うばかりだ。

 今回、からだを支えてくれたもの。1つは昨年漬けてわりとよくできた梅干。なぜかカラダが欲するので、1日に5個ぐらいは食べていた。まあ、いろんな意味で殺菌になるので、これはよかったかと思う。
 もう1つは、冷えを防ぐという紅茶ショウガ(ショウガ紅茶というのだろうか)。紅茶に摺り下ろした生姜を入れて飲むというもので、甘味は黒砂糖か蜂蜜だという、紅茶はリプトンのティーバッグのお徳用パック、生姜は瓶詰めのツブツブの残るおろし生姜、甘味はスーパーで買ったアカシアの蜂蜜――という組み合わせで、そう1日3杯ほども飲んだだろうか。
 結構うまいです。

(02:08)

February 12, 2008

朝めしの品格  えー、無粋を承知で宣伝です。―其の2

 『朝めしの品格』であります。

 今日あたり、本屋の新書コーナーの片隅に並んでいるかと思います。

 麻生タオ名義としては、何と1991年9月の『喰ふ寝る処に呑む処』(ソニーマガジンズ。絵を描いてくれたアダチ画伯との共著となっています)以来、16年半ぶり。

『喰ふ寝る…』は、酒と酒を飲む場所について、まだワカゾーだったワタクシが語ったもので、外題は「酒を飲む者にとっては、“喰う寝るところに住むところ”だけでなく、“飲むところ”も必要デアル」という、『寿限無』をもじったものでした。

 当時仕事をしていた酒の雑誌で企画し、飲み代は編集部持ちでぼくとアダチ画伯とでテーマに合わせた場所に飲みに行き、飲食したものが何だったか、その料金はいくらか、その場所はどういうところだったかなど取材していたのは絵を描かねばならないアダチ画伯で、ぼくはただ場所を決め、そこでただただ飲んでいて、あーだこーだ勝手に書いていただけ……という仕事で、あんな楽しい仕事はそれ以降、絶えてない。 その連載が何回か続いたところで、友人で編集プロダクションを主宰していたアリオカさんが、「本にしない?」と言ってくれ、その時まで自分が書いたものを本にするなどということはまったくアタマになかったものだから、うれしくもあり、怖くもあって(雑誌は読み捨てられてしまうが、本は残るものね)、ワカゾーの自分をどんなスタンスに置くか、文体はどうするかなど、ずいぶん苦吟した記憶がある。

   でも、修業というものはそういうものなのか、苦吟して上梓したら、以降“ワタクシ”として書くものがずいぶん楽になったのはたしかだ(このあたり、説明するのがムズカシイのだけれど)。とはいえ、どれぐらい売れたのか、初版がどれぐらいだったのかいまだに知らないけれども、ウェブで検索すると、ユーズドがずいぶん出てくるから、何百部かは売れたのだろうと思う。  そして今度の『朝めしの品格』です。

  前に書いたようにマクロビオティックの雑誌に連載したものが元になっているけれども、その連載時のタイトル「美味い朝めし」は20年ぐらい前から持っていました。一度はこのタイトルで連載を始める話もあったのだけれど、次号予告に載っただけで、その雑誌がポシャッたという出来事もあり、以来、ワタクシのアタマの中にだけずーっとあったコトバだと言っていい。

 それが、ひょんなことからマクロビ雑誌の編集長になった友達から「何か食いもんのコラムを書きまへんか?」というオファーがあり、やり始めたものでした。

 ただし、取材費なし、イラスト予算なしということだったので、話は自分の記憶や資料を探して書くという、ミステリで言えば“アームチェア・デティクティブ”方式であり、絵がなくては誌面(見開き2頁です)が寂しいじゃないのと、自分で描くことにしたのですが、何せ絵などを描くというのは中学以来のことで(高校は選択制で、ぼくは音楽選択でした)、毎月描くことは新しい苦吟であり、しかも描き上げてみたらいかにもシロート絵ですから、恥ずかしいばかりでした。本書には、そのシロート絵もいくつか掲載されています。

 また、編集者(友人なのですが)の要請で、帯津先生の言葉と写真までいただきました。ちなみに「品格」というタイトルも編集者が付けたもので、だったら「朝めしの本懐」とか「朝めしの一分」などというのもアリなんじゃないの、と言ってみたりもしたのですが(笑)、これでいくということになったものです。 ともあれ、本書はまたワタクシにとっての修業ともなりました。

 その意味で、いろいろ感謝しています。



(07:40)

February 10, 2008

がんを防ぐセルフ・ヒーリング

 えー、無粋を承知で宣伝です。

 去年の大半はこれらの仕事に取られた自著が、今月立て続けに出ます。
 1冊は2月8日の発売となった『がんを防ぐセルフ・ヒーリング』(ちくま文庫)。
 いま1冊は13日に発売される『朝めしの品格』(アスキー新書)です。

『がんを防ぐ…』は、『がんを治す完全ガイド』という雑誌に「心と体のセルフ・ヒーリング」と題して連載したもので、ですから目的はがんの闘病中および予後の再発防止のために“自分でやれる養生法”という位置づけでした。それを1冊にまとめるにあたり、もっと広く読んでいただきたい(言い方を変えればマーケットを広く取りたい)ということから、前書きではこう書きました。
〈もはやがんは特殊な病気ではなく、アナタもワタシもがんになるリスクをおおいに抱えている――そんなポジションにあるのです。では、どうしたらいいの? というときに、現代医学はできてしまったがんを切ったり焼いたり叩いたりして除去する方法は持っていますが、その後はどうすれば再発を防げるか、いやそもそもがんにならないためにはどうするか、というような予防のための方法を持ちません。
 そこで代替療法にヒントを求めるということになるわけですが、その代替療法の多くに共通するのが、アプローチは違っても、最終的には“治癒力を高める”というところに行き着くことです。この“治癒力を高める”ということが、がんの再発防止や予防に有効であるとするならば、それはイコール私たちにとって最良の養生法ではないか――というのが本書のコンセプトなのです。言い換えれば、本書はがんという病気を手がかりに、自ら治癒力を高め、日々の健康を自分で守っていく方法について提案したものです。〉

 ここで取り上げているのは、気功、イメージ療法、バッチフラワーレメディ、漢方、ビワ温灸、自律神経免疫療法、調和道丹田呼吸法の7療法。というか、7つ(1療法各4回ずつ)やったところで雑誌が休刊してしまった、ということだったのですが。
 このうち、バッチフラワーと自律神経免疫療法以外は、帯津良一先生の病院で取り入れられているもので、そもそもはその雑誌が帯津先生監修を謳っている(つないだのは実はぼくでした)ところから、帯津病院での養生法について紹介したいと思って始めたものでした。バッチフラワーと自律神経…はぼくの選択ですが、そうしたことから本書をつくるに当たっては帯津先生に監修というかたちで読んでいただき、また一文もいただきました。
 ただし、養生法として欠けているものがあります。それは食事です。この食事については同時期、同雑誌に並行して、帯津病院で患者さんの食事指導に当たっている幕内秀夫さんの「日々を支える食事学」という連載を企画・執筆し、これは一昨年末に『幕内秀夫のがんを防ぐ基本食』として筑摩書店から出版しました。
 その意味では、『幕内…』と今回の『がんを防ぐ…』で合わせ技一本というところでしょうか。

 この連載をしているときに、後輩ががんで倒れ、連載中に亡くなってしまったということがありました。当然彼にもいくつかは紹介しましたが、病状的にやれるもの、やれなかったもの、やらなかったものなどがありました。多少とも一助になったのかどうか……そういう苦い思い出も重なっています。

(16:05)