November 2006

November 26, 2006

『幕内秀夫のがんを防ぐ基本食』

 

 

 

 

 

 

 いやー、どれぐらいぶりだろう?
 久しぶりに、エディター(編集者)として本を1冊拵えた。
『粗食のすすめ』で知られる幕内秀夫さんの

『幕内秀夫の がんを防ぐ基本食』(筑摩書房刊。本体1400円)

 デアル。
 幕内さんが、がんのホリスティック医療で知られる帯津良一先生の帯津三敬病院で、がんの患者さんの食事相談・指導を長年担当されていることは、よく知られていることだが、がんと食事についてどのように考え、どのように指導しているのかは、たぶん指導を受けた人でないと知らないと思う。

 そこで、某がんの雑誌(今夏潰れてしまったが)に、そんなテーマでぼくが企画し、1年=12か月にわたって取材してまとめてきた(この部分はライター仕事となる)ものをベースに、出版者の担当編集者(♀)が「ここのところが、よくわからん」という部分などについて再取材・加筆し、そこに幕内さんの豊富な(数千人に指導してきたという)データを元にケーススタディ10例を追加、さらに帯津先生との対談を付録して1冊にした。

 がんという病は、突拍子な病ではない。ぼくらが生きていることとセットになっている病だといっていいと思っている。
「どんな食事をしているか」は、食がむちゃくちゃな状況にある現代においては、「どのように生きているか」ということと同義語でもある。
 このあたりはスローフード運動と一脈通じるところでもあると思うが、そんなことも思いながら拵えた本だ。

 とはいえ、雑誌連載が04年2月〜05年1月。筑摩が本にしてくれるという話になり、幕内さんに再取材したのが05年5月。
 幕内さんと帯津先生の対談が同11月。そして、本になったのがこの11月……と、連載開始からは足かけ3年、出版が決まってスタートしてからも1年半。
 時間だけで言ったら、これは労作といっていい(ぼくも出版社もお互い“スローワーク”だけだった話なのだけれども)。でもって、いただける報酬は著者・幕内さんとの印税のシェアだけだから……言わぬが花である。   



(05:42)

センセイの鞄

 

 

 

 

 

 

 このところ、わりと小説がよく読める。“よく読める”というのは、気分的に小説を読みたくない(小説に手が伸びない)ときがあるからだが、それでなぜか女性作家の小説を立て続けに読んだ。
 といっても、3カ月ほどの間に3冊だから、“立て続け”というほどのものでもないのだけれども、ふだんあまり女性のそれは“なぜか”読まないので(ずっと以前、『ゴサインタン』を読んで、篠田節子に関心を持ったことがあったけれども)、だから本人感覚としては“立て続け”なのです。
 で、どんな作品かと聞かれれば、答えるのも恥ずかしい。どれもいわゆるベストセラー本であり、「何をいまさら」と言われるだろう作品ばかりだからで、読んだ順番で挙げると……

 小川洋子『博士の愛した数式』
 恩田陸『夜のピクニック』
 川上弘美『センセイの鞄』

 ……ね、恥ずかしいでしょ。
 どの作家もこれが初対面です(付け加えれば、どれも文庫本)。
 以下はその短い感想。

『博士の愛した数式』は書店に新刊で並んでいた時に、妙にタイトルが引っかかっていた。
「博士の…」は、キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』が思い浮かぶ。「××の愛した…」は、世界で一番有名な秘密諜報員007シリーズの1冊『私が愛したスパイ』だ。でもって、「数式」は、ぼくが数学が苦手なことからコンプレックスを感じるコトバ……ということから、気になっていたのだとたぶん思う。
 でも、だからといって本そのものに手を伸ばすまでには至らなかった。
 読んでみようかなーと思ったのは、映画化されたものをレンタルDVDで見たことだった。これがとても面白く、よくできた映画だった。それで、原作ではどう物語が綴られているのかと興味を持ったところへ、文庫化されたので買った読んだ。
 そうしたら、小説も面白かった。「見てから読むか、読んでから見るか」というのは映画に進出したときの角川書店のキャッチフレーズだったが、本が面白いと思えば映画に不満が残る、映画が先なら本に……と、それぞれ先に読んだり見たりして面白かったと思った、そのイメージに縛られるから、おおむねそういう結果に終わることが多いものなのに、この作品は映画を観てからでも面白かった。その意味では、これはまれなことだ。
 で、これからは映画を誉めるのだが、映画の利点は当たり前だが映像で語れるところだ。映画では、博士からルートと命名された少年が、短い期間なのだが博士と過ごしたことの影響から、長じて数学の教師となり(これは小説にはない。青年ルート役は吉岡秀隆)、生徒たちにいかに数学の世界が面白いかを教壇で語るシーンから始まる。そして、小説の中でさまざまに出てくる数字や数式を、そのエピソードの都度、黒板に書きながら説明してくれるのだ。小川洋子の文章もわかりやすく書かれていると思うのだが、やっぱり映像のほうが理解を助けてくれる。このアイデアが秀逸だ。
 博士役は寺尾聡で、だから小説の設定よりは若いのだが、淡々としていながら哀しみを秘めているキャラクターをよく演じていた。主人公の家政婦は深津絵里で、これはベストの適役だったと思うし、深津絵里の代表作となったと思う。

『夜のピクニック』は、恩田陸という作家の名前が引っかかっていた。といって、読んだことがないから、男か女かわからず、女性だと知ったのはわりと最近のことだ。ちなみに、「陸」という名前の女性は、ぼくは1人しか存じ上げない。大石良夫クンの妻女だけだ。大石クンは社長の失態で会社が潰れるまで、(株)赤穂塩業の筆頭専務だった人で、内蔵助というミドルネームを持つ。
 それはさておき、小説はというと、ただ長距離を歩く、というシチュエーションなのに、一気に読ませたよくできた青春小説だった。ザッツ・オール。

 最後の『センセイの鞄』は、ずっと以前に買って、読まずにいたもの。
 なぜ読まなかったか。テレビ化されたものを見たからだったと思う。
 センセイが柄本明、主人公のツキコさんが小泉今日子。演出は先般亡くなった久世光彦さん。
 久世さんの作品は、「向田邦子スペシャル」を初めとして好きでよく見ており、また作家として書かれたものも好きなのだが、これは何だかつまらなかった。それで本は手つかずのままだったのだが、女性作家のものをに2冊読了した勢いで読んでみた。
 そして、読みながら気づいた。
 これは向田邦子の世界だ……。
 たとえば、こんな一節。

〈…同じ町内にある、しかしたまにしか訪れることのない、母や兄夫婦や甥姪のさんざめく家に帰ると、どうもいけない。今さら嫁に行けだの仕事をやめろだの、言われるわけではない。その種の居心地のわるさを感じることは、とうの昔になくなっていた。ただ、なんとなしに釈然としないのだ。例えば、身の丈ちょうどの服を何枚もあつらえたはずだのに、いざ実際に着てみると、あるものはつんつるてんだったり、あるものは裾を長くひきずってしまったりする。驚いて服を脱ぎ、体にただ当ててみれば、やはりどれも身の丈の長さである。そんな感じか。〉(「お正月」)

 主人公がゆきそびれた四十路目前の女性、という設定がそう思わせるのかというと、そればかりではない。では、文体が似ているのかというと、そうでもない。ただ、その語り口や主人公の感性的なものが向田邦子の――とくにエッセイを思わせるのだ。

 ……その時に合点した。だから久世さんは、この作品をドラマ化したのだと。
 そう思ったら、その“発見”(事実はどうなのか知らないんだけど)に、嬉しくなった。



(05:06)