April 24, 2005

グリコ R・スコット監督作品『ブラック・レイン』(1989)は、日本では概ね松田優作のハリウッドデビューであると同時に遺作ともなった映画として語られるが、もうひとつ記憶されておいていいことがある。それは「グリコ」マークのハリウッド銀幕デビューだ。

 ……かどうかはじつは断言できないのだが(笑)、同監督の代表作『ブレードランナー』的世界を彷彿とさせる怪しげなOSAKAの夜に、ミナミは道頓堀河岸に眩しく輝くあの“一粒300米”のネオンボードが映し出されたときには、おかしさを通り越して、妙な感動を覚えてしまった。
   いや、彼にとっては単に面白い画像というだけだったのかもしれないが、「ウン、これはまぎれもなく日本のマークだ」と首肯いてしまったのだ。

 それは、ぼくやアナタの子ども時代から身近にあり、遠足などのお供としてなじみ深いマークだったから、ということだけにはたぶんとどまらない。
 ひとつは、あのマーク(「ランニングマーク」という)をまとった赤い箱のキャラメル『グリコ』の登場は何と大正10年(1921)。爾来80年を超える時空を生きて今日に至る、いわば日本の近代菓子の代表と呼べる存在であること。もうひとつは、その出自において込められた日本の子どもたちに対する愛ではなかろうか、と思うのだ。

「グリコ」という名称がグリコーゲンからきているのはよく知られている。
 薬種業だった創業者が郷里・有明海の牡蠣の成分から思いついたとされるが、このエネルギー代謝に重要な栄養素を、まだ大いに貧しく栄養不足だった時代の日本の子どもたちに、と考案されたのがキャラメルに仕立てた文化的滋養菓子『グリコ』であり、商品と栄養価をアピールするために考案されたのが、「1粒300メートル」のキャッチフレーズとあのマークだった。
 
 一方、「グリコ」といえばオマケ付き菓子の代名詞でもあるが、「グリコ」に豆玩具が入れられるようになったのは6年後の昭和2年(1927)。翌々年からは早くもオリジナルのそれをつくり始めている。
 しかし、そのコンセプトはいまのように販促品、つまり“売らんかな”の気持ちからではなかった。「子どもたちにとって、食べることと遊ぶことは二大天職」ということから、食べることで健康なからだを、玩具によって子どもたちの知識と情操を育もうと考えたのだという。
 
 
 今日「食玩」などと呼ばれ、菓子が主かオマケが主かわからないものがブームとやらで数多く出回っているが、そのどこにグリコや、グリコのオマケに込められたような思いがあるのか。いや、いまの時代、そんな思いで世に送り出される商品がどれほどあるのか……「チョコエッグ」と言ったっけ? あんなもンに群がるオバカな日本人の姿を見るにつけ、そんなことを思わずにはいられない。

 
(『P's ANIMO』誌 2003.SUMMER号掲載分に一部加筆)


(06:12)

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