April 11, 2005

「ラジオ」をテーマに何か書けと言われて書いたのが以下の一文だ。
 いま渦中のニッポン放送社長だって、まだディレクターであり、自ら深夜放送のパーソナリティーをやっいてた。若者とラジオというメディアの蜜月時代だった、と言っていい。
 書いていると、あの頃がまざまざとよみがえってきた。そう、好きだったあの娘の面影まで……。

ボクのラヂオ・デイズ
 
帰ってきた フォーク・クルセダーズ『帰って来たヨッパライ』の大ヒットをきっかけに、70年安保や大学闘争という時代状況も相まって、フォークソングが音楽の領域のみならず、社会的なムーブメントになりつつあった。東京の新宿西口広場では毎土曜の夜にフォーク集会が開かれて岡林信康の『友よ』の大合唱が巻き起こり、九州・熊本では一人の高校生(僕のことです)が、自分もフォーク少年たらんと新聞配達で貯めた小遣いで安いガットギターを購い、受験勉強そっちのけで、ちっともきれいな和音になってくれないFコードに四苦八苦していた。そんな時代――。
 
 次々と送り出されてくるフォークの新譜は、まず“若者の解放区”などといわれたニッポン放送『オールナイト・ニッポン』、TBS『パック・イン・ミュージック』、文化放送『セイ!ヤング』などのラジオの深夜番組から流れてきた(その次が『新譜ジャーナル』とか『ガッツ』だとかいう雑誌でしたね)。だからその少年も毎晩、勉強机の端に置いたオンボロなラジオにかじりつくようにして、新しい歌に胸躍らせて……はいなかった。それどころか、ラジオの前で悶えていた。
 
 よく聞こえないんだよね。
 夜中12時過ぎまでは地元の放送局のラジオ番組が電波空間を独占しているから、いずれにしてもその後のことなのだが、明瞭に聞こえてくるのは海をはさんだ半島や中国語の放送で、こっちが聴きたいものは、その隙間から漏れるがごとく、かすかに細々としか入ってこないのだ。
 少年は悶えながらも思案した。どうにかしてもっとよく聞こえるようにならないか? そうだ、アンテナを立てればいいかも知れない! そこでその手のことに器用な学友に相談し(ぼくはその方面がまったくダメなのです)、古いコウモリ傘から布地や骨を外してアンテナ様にし、こいつを軒先に取り付けてアンテナ線でラジオと結んでみた。
 いやあ、この目論見は見事に当たりました。『オールナイト…』だって『パック…』だってよく入るのだ。もちろんモコ・ビーバー・オリーブの『パンチ・パンチ・パンチ』だって。といっても遠くからやってくる電波だから、ときおり気が遠のくようにスーッと音が消えかかったり、また戻ってきたりというのはあったものの、悶えていたことを思えば、聞こえるだけで田舎のフォーク少年は大満足だった。
 
 アンドレ・カンドレというヘンな名前の新人フォーク歌手が歌う『カンドレ・マンドレ』なるヘンな歌を聴いたのも、そのオンボロラジオからだった。案の定、ほとんど人口に膾炙しなかったけれども、彼はのち芸名を本名に戻してから、あれよあれよという間にフォーク界のスターになっていった。
 その本名は、井上陽水というのだった。
 
東海教育研究所 月刊『望星』特集「新・ラジオの魅力」2004年3月号所載


(03:28)

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この記事へのコメント

1. Posted by heel lifts   August 21, 2013 17:41
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