April 07, 2005

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 肩はナチュラルショルダーで、シルエットは寸胴。
 フロントはシングルブレスト3つボタン段返りで中1つ掛け、ボタンはメタルの金ボタン。
 胸はパッチポケット、脇はパッチ&フラップポケット。
 バックはセンターベントでフックベント。
 
 ――と、この一文を読んですぐにわかるアナタは、その昔、「VAN」に憧れ、「メンクラ」(雑誌『MEN'S CLUB』婦人画報社刊/現・アシェット婦人画報社)を教科書に「アイビーとは何ぞや」ということをお勉強した一人に違いない。そして、「素材はフラノ、カラーはやっぱりネイビーかキャメルが基本だぜ」などと友達に蘊蓄を垂れたりしたこともあったはずだ。

「VAN」「アイビー」をご存じない方のために言っておけば、冒頭の一文はアイビースタイルのブレザー仕様で、アイビーは60年代から70年代にかけて若者たちに大流行したファッションスタイル。そして、その流行を生み出したブランドがVAN(ヴァン)で、当時はそのロゴマークの入った紙袋を小脇に抱えるだけでもカッコよかったほどだった。
“若者たちに大流行”と書いたけれども、VANに比べたら今日びのファッション流行なんて目じゃない。VANはファッションを中心に置いて遊びからカルチャーまで、つまりライフスタイル全般に影響を与えたのだから。

  しかし、それもそのはず。生みの親、石津謙介は単にアメリカン・ファッションを提供しようとしたのではなかった。終戦直後に出会った一人の米軍中尉から聞いた、アメリカのアイビー・リーグ(アメリカ東部の名門8大学で組織するアメリカンフットボールリーグ)が持つ“ファッション哲学”を戦後の若者たちに提供しようとしたのだから。
 流行に左右されることなく長く着ることのできるもの。そしてプライドやプレステージなど、着る者に何か満足を与えてくれるような、ひとつのファッション体系――それを目指したのがVANだった。
 
 ブランド名の意味は、前衛、先陣、先駆、先導者。
 ブランド自体が生まれたのは昭和26年(1951)。そのブランドからアイビーファッションが世に送り出されたのは同32年(1957)。雑誌『MEN'S CLUB』が教科書になったのも当たり前で、石津は編集顧問だった。ちなみに、当時誌上でモデルをつとめた一人に菅原文太がいる。
 
 大ブレイクするのは、いわゆる団塊の世代第1陣が高校生になった39年。それをさらに後押ししたのが同年に創刊された『平凡パンチ』(平凡出版刊。現・マガジンハウス)という若者向けカルチャー&風俗雑誌だった。
 この年はまた東京オリンピックが開催された年でもあった。時代は復興期を終えて高度経済成長期に突入していた。
 そしてVANと『平凡パンチ』の登場以降、ニッポンは若者中心文化の社会になっていく――。
 
『P's ANIMO』2003年秋号掲載分に一部加筆
 
※追記:2005年5月24日、アイビー・ファッションの生みの親、石津謙介氏死去。享年93。大往生である。


(03:55)

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この記事へのコメント

1. Posted by フェラガモ カチューシャ   May 08, 2014 00:35
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