February 14, 2009

美味い朝めし

 昨年末、白金台にある浄土宗・戒法寺の住職・長谷川タイジュンさんから、「朝めしの話を『浄土』に何回か書いてくれませんか」というメールをいただいた。
 もちろん拙著『朝めしの品格』を読んでくださった上のことだ。南無阿弥陀仏……。

 この『浄土』(発行元:法然上人鑽仰会)という雑誌は、創刊が昭和10年。その名の通り、法然上人を開祖とする浄土宗が檀家さんなどに向けたものらしいのだが、数年前、ある宗教関係者からこの雑誌の編集長である長谷川さん(年齢的にはタメだった)を紹介いただき、そのときは「代替医療」について、本名で1年間(春と夏に合併号があるので全10回)書かせてもらった。
 それ以来のお付き合いなのだが、以降はぼくが関わっているCAMUNet(カムネット:代替医療利用者ネットワーク)のイベント、「クリスタルボウル・ライブ」について、戒法寺でのそれはもとより、浄土宗の大本山・増上寺での100人ライブも、長谷川さんとの“縁起”によるものだ。
 その長谷川さんからの依頼だもの、書かないわけはないじゃないの。
 とはいえ、書く材料は『朝めしの品格』に盛り込んだこと以外、たいしたものはない。南無阿弥陀仏……。

 で、『朝めし礼賛』と題して書いたものの初回が以降である。
 もう雑誌も出ちゃったからいいかなと……南無阿弥陀仏。



――――――――――――――――


「朝めし」礼賛1 「和」の朝めしがなぜうまいか

 昨年の今頃、一冊の本を上梓しました。外題は『朝めしの品格』(アスキー新書)。何やら便乗くさいタイトルだと思いでしょうが(笑)、これは出版社が付けたもので、多少抵抗は試みたのですが、本にしてくださるというのだから、ま、いいか ……と。
 それはさておき、この本を書くきっかけとなったのは、ずいぶん前に聞いた――正確に言えば雑誌で目にしたある人のある言葉でした。いわく、
「朝・昼・晩の三食のうち、朝めしが一番うまい。なぜなら食間がもっとも長いからだ」
 名言だと思いました。空腹に勝る何とやらと言いますが、たしかに晩めし〜朝めしの間が一番長い。アナタの三食は知らないけれども、仮に朝めし七時、昼めし十二時、晩めし七時だとすれば、晩めし以降は半日も何も食べないということになる。
 実は、西洋の人々も同じことを思ったようで、英語で朝めしはブレイク・ファストと言いますが、このファストはファストフードの“速い”という意味ではなく、“断食”のこと。ブレイクとは“破る”だから、すなわち“断食を破る”という意味になります。つまり、その長い食間を断食に喩えたわけです。そして、昔のヨーロッパの人々は、“断食明け”であるその日の最初の食事を、一日でもっとも大事にしたそうです。
 しかし、朝めしがうまいのはそれだけだろうか。
 題材としたのは「和」の朝めしです。朝はパンという方もおられるでしょうが、食や栄養の専門家でもない一介のフリーの編集者であるぼくが関心を持つのは、日本人だもの、それしかありません。そう思って本屋の書棚を見ると、“簡単朝ごはん”といったレシピ集はあっても、朝めしの意味などについて書かれたものはない――つまり、先人のいないテーマだったから、やってみようと思ったのでした。
 では、和の朝めしとはどんなものか。
“めし(コメ)・味噌汁・漬物”を基本三点とし、それに例えば納豆とか玉子、海苔など“朝めしの友”が添えられたごくごくシンプルな献立で、いまの日本人にはこれがスタンダートになっていると思ったからです。すき焼きや天ぷらといった、いわゆるご馳走はありません。なのに、このシンプルな食事が実にうまい。ぼくなど誘われて温泉に行くと、旅館の晩めしのご馳走より翌朝の朝めしがうまく、喜びを感じることがよくあり、それもこの本を書く動機になったのだと思います。
 そうしたことから、日本人には“めし・味噌汁・漬物”という三点セットに食の喜びを感じる――いまふうに言えばDNAにすり込まれた――“何か”があるのでは、と考えました。
 伝統的な和のシンプル食への回帰を提唱してベストセラーとなった『粗食のすすめ』の著者・幕内秀夫さんはこう言っています。
「『ごはん・味噌汁・漬物』の組み合わせは日本人の食の『基本食』です。(略)この基本食はこの組み合わせだけで、食の七割がまかなえるほどのすばらしいものなのです」(『幕内秀夫のがんを防ぐ基本食』筑摩書房)
「基本食」とは飽きずに食べられる伝統食ということです。しかもそれは、“食の七割がまかなえるほどのすばらしいもの”と言っています。
“飽きずに食べてきた”ということを裏返せば、“うまいからこそ食べてきた”という意味です。しかも、“それだけで食の七割がまかなえる”というほど、日本人にとって栄養価や機能の面でも優れている。つまり、“うまい”と“十分”という必要十分条件がこの朝めしにはあるのです。
 幕内さんは、がんをはじめ食による健康被害を食い止めるには、この“めし・味噌汁・漬物”という日本的食生活に戻ることだと提唱しています。しかし、現代のとくに都市生活者にこれは強制できないから、実行できるとすれば朝めしだ、と言います。というのも、昼は外食で中華やイタリアン、夜は男なら付き合いで飲みに行き、シメにラーメンを食べて夜遅く帰る――こんな暮らしで、朝めしがうまいわけはない。
 言い換えれば、“めし・味噌汁・漬物+朝めしの友”の朝めしを食べてられているかどうか、ということです。
 アナタはどうか……ぼくは(笑)です。

(06:34)

January 29, 2009

 

手前味噌

 

 

 

Webで見つけた拙著『朝めしの品格』へのご意見の2回目です。褒められればやっぱりうれしい。ナンと“去年の新書のベストスリーの1冊”とおっしゃる編集者も……。

★朝めしの品格

市立図書館の棚で発見。大ヒットした品格モノの柳の下の何匹めかのドジョウの一匹と思しきタイトルだけど、内容は日本の朝ご飯決定版のウンチクを語ったもので、味わいのある著者のヘタウマ寸前のイラストと解説分が添えられ、読んでると一層トラディショナルジャパニーズブレクファースト、即ち、戦後の繁栄に伴いおかしくなった以前の朝ご飯を食べたい!と言う気持ちにさせられた。

知っているようで知らなかったエピソードが豊富で、時にはあの司馬遼太郎さんの取材不足に鋭いツッコミが入れられたり、イギリス発祥のサンドイッチと日本人の鉄火巻きは、貴族と庶民の違いはあれども、共にゲーム中のファーストフードとして手を汚さずに食べられるから‥…と言うトリビアの泉的な話などがあり、思いがけず面白いめっけもんでした。

団塊の世代のちょいと下の著者。ウンチクを傾ける事に掛けては年齢相応の安定感がありつつ、偉ぶらない、かつ滑り過ぎない書き方で、私にはとても読み易かった!

安直にパン食の朝食とってますが(そう、パン食が普及したのは美味しかったからはあるでしょうが、GHQのごり押し以上に用意するのがカンタンと言うのがあったと私は思う)、ホカホカしご飯に熱々の味噌汁、納豆に海苔に美味しい漬け物に玉子かメザシでもあったら、そして美味しいお茶。ホントはそれが一番!

 

■ 朝めしの品格

11月

いやいや、また本のタイトルにピンときて読んでしまいました。
でもこのピンとくる感覚、あまり外れた事が無い。

本書は、大変わかりやすいタイトルどおり朝食を構成する品々について触れている。
まずは梅干、味噌汁の具としての豆腐とワカメ、オカズとしての漬物、納豆、玉子、海苔、
朝食の主役であるコメ、忘れてはならない茶、

無量庵の料理サイトの一部は他の料理専門サイトでも公開しているが、ここで掲載している
朝食ネタは、ダントツでヒット数が高いアイテムである。みんな朝食ネタは好きなのかも?

ところで本書は、なかなか良い事を書いている。
例えば梅干、これは朝食アイテムとしては必須である。何は無くともまずは梅干である。
ところがこの梅干、最近は梅干とは呼べないまがい物が多く巷に溢れている。
UKIは、まがい物では無い本当の梅干を小田原まで買いに行くが、これはこれでわざわざ
梅干の為だけに小田原まで行くのはなかなか大変である。
が、この梅干割合簡単に作る事が出来るらしい。で、毎年著者が作っているその本物の梅干
のその作り方が載っている。これは、誰でも時間さえあれば簡単に作れそうである。

次に、こんなものがあったのか!と初めて知った茶節、即席味噌汁である。
鍋で煮る事なく簡単に美味しい味噌汁が出来てしまう優れもの。一度作ってみよう!!

また、これこそ朝食に欠かせないアイテム、漬物。
その漬物の中でも、嵌るとこれが無いと我慢なら無い漬物、ぬか漬けが実は、日本でしか作ら
れていない漬物なんだって!? 知ってたぁ〜!!

コメのコーナーはなかなか薀蓄が凄い。
江戸初期キリスト教の改宗がなかなか進まない中、一番改宗に効果があった拷問の方法が、
一日2合半しかおコメを食べさせない事だったんだったそうである。
その後太平洋戦争の最中、食べる事が困難だった時代、一日2合のコメでも弱音を上げずに
頑張った国民は、宗教よりも戦争により信心?が深かったのかと作家の坂口安吾は当時嘆い
ていたとか・・・
ちなみに現代では、一日コメを食べなくとも別段平気でいられる若者が多いのは、何を拠り
所としているんでしょう?(今は、コメ食べなくとも他に食べるものは沢山あるからネ)

既にこれだけ多く語られている「朝食」だが、その中にあって著者の視点は、まさに朝食の
基本であり、それをシンプルにかつ斬新に語った本書は、有りそうでなかった本である。

ちなみに蛇足だが、本書で語られているような朝食をじっくりと味わえる日常というのは、
普段の平日の朝ではなかなか実現出来ない。あえて実現出来るのは、時間にゆとりのある
休日となってしまうんでしょうねぇ〜。

 

朝めしの品格・無責任のすすめ

「朝めしの品格」・「無責任のすすめ」の2冊を読了する。

「朝めしの品格」は日本の朝食(ご飯・汁物・漬物とおかず)にこだわったエッセイ。朝食の成り立ちや味噌や漬物の歴史など書いてあり、なかなか興味深い内容だった。昨今、朝食が見直され食べるよう指導されている旨の話を良く聞くが実際はパンやコンビニで買ったものが多いような気がする。母親が丁寧に純日本食の朝食を作るのは少ないと思う。それとこの本に書かれていたことだが、「関西ではお粥を朝食に食う」とあったがこんな話は初めて聞いた。仮にあってもごく小さい局地的なことだと思う。なかなかおもしろかった

•2008年に読んだ新書ベスト3!!  

 まず、章立てに目がいきました。「一膳目、ニ膳目…十膳目、一服」とあり、梅干、味噌汁、漬物、玉子ごはん、コメ、お茶などに分けて、出るわ出るわ日本の朝めしの四方山話。
 朝めしの歴史、食材のウンチク、作家らの朝めし、塀のなかの朝めし、これがどこから読んでも知らなかった朝めし情報がぎっしり、発見多数、朝めしが深い!面白い!と思ったことなど一度もないですが、そう思えたのです。

 落ち着いた筆致とところどころに差し込まれる著者による挿絵&書き文字が本全体の雰囲気とぴったり調和して、しぶーい一冊に仕上がっています。
 「朝めしは生き方だ」とありますが、よく考えたら、晩めしより朝めしにこそその人となりが出るのかもしれない、とハタと気付いたのでした。良書です。

 

 



(18:25)

November 28, 2008

 背中の背骨の左側、それも上から手を伸ばしても下からやっても指先がやっと届くかどうかという真ん中あたりに、なにやらコリコリする小さな塊がある。
 たぶん脂肪の塊だと思うが(医者に言わせると年を取ると出やすいもので、とくに背中が多いとか)、この辺りが夜中、パソコンに向かっているときなどにときどき痒くなる。それである時、100円ショップで「孫の手」を見つけ、以来、痒くなると孫の手でガシガシやっていた。あ〜気持ちんよか……。

 ところが、2週間ほど前からその辺りに痛みを感じるようになってきた。
 心なしか腫れているような気がする。
 それでも初めは気にならなかったのだが、痛みがだんだん増してきて、仰向けに寝ると不具合を感じるようになってきた。
 そのうち何かジュクジュクした感じになり、これは医者に行かねばならないかな――と思ったのだが、そこはそれ、基本的に医者嫌いである。それで孫の手の先にテッシュペーパーを巻き付け、消毒液を含ませては、その辺りになすり付けるというようなことをやっていた。こんな時に感じるのが独り者の不便さだ。どうなっているのかもわからないし、何をかなそうと思ってももどかしい。

 先週の金曜日(21日)はぼくの出版記念パーティーだった。ぼくの2冊の本(『朝めしの品格』『がんを防ぐセルフヒーリング』)の出版を祝ってくれようと先輩たちが企ててくれたもので、ぼくとしてはどちらも2月の出版だから一度は辞退したのだけれども、「出版不況の時代に2冊も出してもらえるというのはめでたい。ぜひやるべきである」という強いおすすめから、ありがたく開いていただいたものだ(晴れがましいことは苦手なので当日まで気が重かったけれども)。
 その前日、20日の夜は、いま取り組んでいる“サラ弁”宇都宮健児弁護士の自叙伝のためのインタビューだった。ぼくの高校(熊本県立熊本高等学校。略称クマタカ)の先輩だぞ、と依頼された時に言われたのだけれども、最初にお会いして話したら、何と中学も同じ。そういうことは、インタビューに多少緩やかさをもたらしてくれる。
 で、出かけるのでTシャツを脱いだら、背中部分に薄く赤いシミができている。ちょっとやばいかなと思いつつ、新しいTシャツに着替えて仕事に向かったのだが、どうも背中が気持ち悪い。ときどき張り付いたりしている。
 夜遅く家に帰って脱いでみたら、血と膿とが混じったような大きなシミができていて、「あ、こらいかん」と覚悟した。

 実はその前日に、自宅近辺の皮膚科をネットで探し、適当だと思われるクリニックに電話で相談したところ、それは外科的処置が必要かもしれないからと“胃腸クリニック”という名前の病院を紹介されていた。何で胃腸クリニックかと思ったが、ネットで見ると外科もあるからで、夕方6時過ぎだったと思うけれどもそこにも電話し、症状について相談した。ところが翌日の木曜日は休診日だという。
 そこであらためて電話することにしたのだが……間に合わず、腫れ物が破れてしまったのだ。

 パーティー当日。午前中にクリニックに電話し、お昼ちょうど頃に自転車を漕いで向かう(最寄りの駅前の新しいビルに今年2月にオープンしたばかりだという)。Tシャツを脱いで患部を見せたら、「ほほう、立派なものですね」と院長は笑う。
 処置としてはちょっとばかり切開し、膿を押し出すというもので、局所麻酔をしたというけれども、押し出されるときの痛いのなんのって。こんな時には“息をゆっくり吐く”のだけれども、それにしたって猛烈に痛い! 次に、何をしているのか見えないからわからないけれども、たぶん傷口にガーゼを押し込んでいるのだろう、このグイグイも痛い!
 受診前に受付で体温を測ったら、37度台あった。前日の取材時からからだが怠かったのだが、これは背中の化膿と免疫の闘いだったのだろう。
 そうして処置を受け、ビルの1階の薬局で処方された抗生物質、痛みと熱があるので鎮痛解熱剤、その鎮痛解熱剤は胃を荒らすので胃薬(アスピリン系なのだろうか)の3種を買わされ、一度家に戻ってちょっと休憩してから、時刻にパーティーに出かけたのだけれども……。

 身体への強い痛み(この場合は治療の時のそれ)はストレスとなってからだから元気を奪う。一方、37度台という半端な熱もぼくの場合は一番元気を奪う。だから、会場のある新宿に着いた時には若干ヘロヘロで、これじゃいかんと道すがらドラッグストアで「リポビタン・ローヤル」とやらを購って店頭で飲んでちょっとばかり元気の元を仕入れ、さらに事前に電話して紀伊国屋前で待ち合わせていたナチュロパスの女友達と落ち合い、会場の片隅でしばらく首筋から肩、頭部へのマッサージを受けたりした(早めに行ったつもりだったが、どんどん知り合いが来て、何をしているのだろうと訝しげな目で見ていたけれども、それどころではなかった)。
 会は50人を超える友人・知人が集まってくれ、盛況だったのだが、それでもイマイチダメで、本来なら朝まで付き合わなければいけないのに、たいして飲まないまま、終電で帰ってしまった。

 ……以降、ずっと毎日、クリニックに通っている。院長に言わせると回復に向かっているらしい。しかし、毎回のガーゼの取り替えは相変わらず痛いし、微熱も去らない。
「来る前に傷口のカバーを外してシャワーを浴び、またカバーしてくれば治りが早いかも」
 だから……。
「ああ、独り者か。手も届かないところだけに、むずかしいことですよね」
 苦笑まじえにそう言われたのは、昨日の夕方のこと。

 独り者の背中は哀しい。

(03:32)